三章 峡谷の古塔 【10】

「こ、これは……。」
 思わず呟いたのは誰だったのか。
 無造作に出された、両手から溢れんばかりの宝石の山に、お貴族様であろうコッドフィールですら、驚愕のあまり息を飲み、目を見張っている。
 一番年下であろう赤毛の少年なんて、オロオロしながら顔色が赤くなったり白くなったりしているので、見ていて可愛らしいやら、心配になるやらだ。
「ここまで見事な鉱石をそろえているとは……」
 真っ黒な鉱石を慎重に手に取り、うめくように呟いた老魔術師の発言に、シルヴィアは軽く肩をすくめる。
 物の価値が判らないと言うのは、ある意味幸せなのかもしれない。
 精霊の力をこめる、『魔石』としての価値が判らない私からすれば、見て綺麗かどうかの判断基準しかないわけで。
 そういった意味では、こちらの世界の鉱石は、元の世界の宝石に、審美的には確実に劣る。
 美術館で見た昔の宝石のように全体的にカットが甘く、多分スワロフスキービーズの方が、よっぽど綺麗で見た目も美しい。
 プラスチックの指輪……とまでは言わないけど、綺麗なビー玉や、おはじき位の感覚だなぁ。
 魔石としての価値は高いけど、装飾用の宝石としては低級の石をそろえてあるんだと思っていたけど、専門外のコッドフィールが食い入るように見ている位だから、これがこちらの標準っぽい。
 そんな空気を物ともせず、キャンディボックスをぶちまけたような宝石の小山をざっくり四等分すると、シルヴィアは四分の一を布袋に戻し、私に渡した。

「これから助手候補の三名に、それぞれこの石を分類して頂きます。――私が使いやすいと思う方法に分けて下さい。
 公平に保つために、アーランに先に分類させ、布で隠しておきましょう。アーランと同じ、もしくはそれ以上に使いやすい方法で分類できたら、彼ら全員を受け入れましょう。」
 宜しいですねと念を押すシルヴィアに、ぎこちなく頷く彼らを尻目に一礼、布袋を持って、さっさと備え付けのキッチンに隠れる。
 相手から手元が見えないのをきちんと確認して、布袋の中から出した鉱石を、銀盆の上にいつもの様に、ひょいひょいと並べる。
 時間掛けてやっても良い事無いし、何より早く帰って欲しい。
 どうしても他人と接触する時間が長ければ長いほど、ボロが出る気がしてしまう。
 少しの緊張は、王宮の使者に対しての緊張と捉えられるだろうけど、度を越せば不審者になりかねないもんね。
 仕事をしている時は「我侭言うなー!」と子供達に怒鳴りたいのを抑えて、にっこり笑うテクニックを散々磨いたし、大丈夫。大丈夫。
 感情を顔に出さないのも、仕事のうちだ。
 そう自己暗示をかけて、早くなる鼓動を押さえつける。
 最初はともかく、ロワンとコッドフィールの興味はシルヴィアに向いている。
 後ろに控えている三人が、失礼にならない程度に「助手アーラン」を探っているけれど、それも予想の範疇内。
 大丈夫。――問題ない。 小さく深呼吸を一つ。
 銀盆の上に厚手の布をかけて、応接室と言う名の戦場に戻った。

「それでは始めて下さい。」
 応接セットの横に運ばれた、大きなテーブルの前に動いた三人は、その言葉に緊張の面持ちで頷く。
 シルヴィアとロワンは、それぞれの動きを興味深く見ているけれど、専門外のコッドフィールは手持ち無沙汰だったらしい。
 そもそもこんな山奥に来た事、長丁場になった事、自分が主導権を握れていない事、全てが面白くないらしいカマキリ男は、不満そうに部屋を行ったり来たり歩いている。
 王宮の使者って、日本で言ったら皇族の使者なわけで。
 今いるファンデール王国って、確か大陸の東の方では有数の大国で先進国だって聞いたけど、なんか、目の前にいる爬虫類中年男からはそんな威厳がまったく感じられない。
 ――大丈夫なのかな?この国。
 そんな事をぼんやり思いながら見ていたら、どうやら目をつけられてしまったらしい。
 助手がいるなら、ぬるくなった茶を淹れなおせ!と命令され、淹れてみたらマナーがなってないと言われ、何故、始めから出てこなかったんだ、玄関前の雪を掃っておかなかったんだと、ねちねちと嫁イビリの様に鬱憤をぶつけられる。
 ――うぜぇえぇ。
 顔だけは神妙に、胸の内で悪態をつく。、
 尊大な物言いのわりに、シルヴィアやロワンに見えない様に文句を言う所なんかも、嫁イビリっぽいぞ。
 うちの園には少なかったけど、今流行りのモンスターペアレンツもこんな感じだ。
 このタイプは反論すると逆上するので、とりあえず恐縮した風を装って謝罪する。
「私のような未熟者が、王宮の使者様に満足のいくお茶など出せるはずも無く、申し訳もございません。――王宮の方々の御前に出ます事は、かえってお目汚しになると思いまして、裏で控えておりました。」
 人間、何が役に立つか判らない。
 スラスラこんな言葉遣いが出るのは、実はフォリアのお陰。
 大量のドレスと共に送られてきた声石――こちらの世界の音声記憶媒体――には、貴族のお姫様と従者の恋物語なんぞも入っていた。
 恋愛ものが多かった気がするのは何かの嫌がらせかとも思ったけれど、確かに色々な身分の人の話し方の参考にはなったし、この際ほんとにありがたい。
 カマキリ男はぶちぶち文句を言いながらも少し溜飲が下がったのか、うろうろ歩くのをやめてソファに戻る。
 王室の威厳とか尊厳とか、そういうものを大事にしたいなら、躾のなっていない中低流貴族なんぞより、もう少しマナーをわきまえている、王宮下士官とかを伝令係にした方が良かったんじゃないのかな。
 心の中でそんな軽口をたたきながらも、――実際は、そんな単純なものではないのだろう、と思う。
 身分制度が希薄な日本で生まれ育ったせいで、カマキリ男も「取引先の駄目上司」程度の感覚でとらえてしまっているけれど、こちらの世界は中央集権国家。
 彼だって、身より不確かな人間一人、簡単に殺してしまえるだけの権力を持っていても、おかしくは無い。
 レジデから聞いた話だと、殆どの国は王政、もしくはそれに近しい政治制度で成り立っているらしいし、世の中の主軸となっている考えを軽視するのは、トラブルの元だ。
 あのシルヴィアの変わりっぷりから見ても、それは感じ取れた。
 労働階級の人間に擬態したいなら、もっと「身分」とそれに伴う常識を学ぶべきだと決意を新たにしたところで、シルヴィア達に動きがあった。
 どうやら終わったらしい。