三章 峡谷の古塔 【9】

「わざわざ、すまないね。」
「いるなら、さっさと最初から出せば、話が早かったものを。」
 にこにこと笑う裏の見えない好々爺と、吐き捨てるように話すカマキリ男。
 応接ソファの座る二人の人間に対する第一印象は、そんな所だろうか。
 部屋に入るなり掛けられた声を、シルヴィアはさらりと無視して嫣然と座り、後ろに立つ私を紹介した。
「コッドフィール殿、ロワン、こちらが再三お尋ねの助手アーランです。」
 幾分皮肉が入った紹介を受け、軽く目を伏せたまま会釈を返す。
 事前に聞いた二人のプロフィールを思い出しながら、そっと顔を上げる。
 掃除の時には広く感じた応接室も、ずらりと並ぶ男性達を見れば、なるほど最低限の広さだったのかと納得がいく。
 ソファの後ろに立つ幾人かの男性は、取りあえずおいておき、最重要人物であるソファの二人に意識をやった。

 白く長い髭を蓄えた、柔和な顔立ちの老人がロワン。
 魔術ギルドのお偉いさんで、シルヴィアとも顔なじみ。
 こちらの魔術師の正装らしく、着ている物もたしかにシルヴィアと似ているデザインだ。
 重い灰色の長着を黒い飾り紐で締め、袖と裾には金糸で施された、彼女と同じような刺繍が走る。
 もしかしたら、この色合いや刺繍の内容で、魔術師としての格や立場を表しているのかもしれない。
 幾つかの類似性から、そう思う。
 ぱっと見は、温和な老人にしか見えない人物を、シルヴィアは「変人奇人しかいない魔術学院一の大狸」と評していたっけ。
 ――日の当たる縁側で、猫でもかまっているのが似合いそうな風貌だけど、なかなか食えないお人らしい。
 そして血色の悪い、目だけギラギラしている中年男が、王宮からの使者コッドフィール。
 シルヴィアとは初対面らしいけど、彼女曰く「使いっぱしりをしないと生きていけない、末端、中低級貴族」だそうだ。
 まぁねぇ。真冬のこんな所に、お使いに来るくらいなのだから、大公爵とかで無いのは、確かだろうな。
 似合っていない大仰な意匠の貴族服が、彼の貧相な体つきを殊更目立たせ、こちらを不躾に眺める視線と相まって、無性に爬虫類を思い出させた。
 なんつーか……間違っても仲良くしたいタイプじゃなさそう。
「シルヴィア殿。人嫌いで有名な貴殿が、大して役にも立ちそうもない、こんな若輩な助手を使っている理由をお聞かせ願おう。」
 そんなコッドフィールは、人のことを物を見る目つきで見やってから、上から目線でシルヴィアに問う。
「魔術器具を作ることは鍛冶や宝飾工房等と違い、年齢経験は関係ありません。それを専門外である王宮の方に理解して頂こうとは思いませんが、アーランは非常に得がたい助手。手放すつもりはありません。」
 シルヴィアも笑顔で話しているけど、意訳すれば、部外者はすっこんでろ。って感じでしょうかね。
 さっさと帰れという雰囲気を、最大限に出しながらも、丁寧な言葉使いと笑顔を駆使する……これが上流階級のテクニックだとしたら、本当に彼女の変わりようは大した物だ。
 それに対して苦々しげに舌打ちをするカマキリ男は、感情が外に駄々漏れで、出世出来そうもないタイプ、――はっきり言えば、小物に見えた。
 ――厄介だな。
 どう考えても王宮の使者よりシルヴィアが圧勝しているのに、ここまで会合が長引いた原因は一つだろう。
 更に畳みかけようとしたシルヴィアの言葉より先に、絶妙のタイミングで、やんわりとした声が入り込む。
「それにしてもシルヴィ。君がようやく助手を使う気になったのは学院としては、非常に歓迎したい。ならば何故、他の助手を使うのが嫌なんだい?助手は多いほうが良いだろう?」
 魔術師ロワン。
 やはり思った通り、今回の裏ボスは彼らしい。
 ソファの後ろに控える私と同じく、それぞれ彼らも幾人かの人間を、後ろに控えさせている。
 カマキリ男の後ろには、帯剣している護衛が二人。
 そして大狸の後ろにも、若く美しい男性が三人ほど立っている。
「長い事一人で生活していたので、大仰なのは嫌いです。 私は彼らの世話をする気はないし、技師として育てるつもりもありません。
 ――私の所で時間を無駄にする事は、彼らの為にもならないでしょう。」
「それは、本人たちが決めることだよ。どんなに辺鄙な所でもかまわない。天才と謳われる君の傍で学びたい、と思う魔術師は少なくないはずだ。
 それに教えるつもりは無いとは言っても、アーラン君には作業を手伝わせているんだろう?」
 にこにこと笑いながらも、ちらりと狸の片鱗を見せる。
 肯定すれば、シルヴィアは助手を取って教示するという『前例』を作られるし、否定すれば引き続き三人を置いていく理由になる。
 アーランだから教えているのだと答えるには、私達には探られたくない、後ろ暗いところが多すぎた。

 何が何でもシルヴィアに目的の物を作らせたいのが王宮だとしたら、ロワンの狙いは、シルヴィアの技術の獲得と拡大、と言う所なんだろうか。
 王宮から頼まれて付いて来た形をとりながら、今がチャンスと助手を置いていき、既成事実化させるつもりらしい。
 ――むしろそれさえ出来れば、王宮の目的など知った事ではない感じさえ受けるし。
 昔、こんな素敵な土地は無い!と歌うように話していたシルヴィアは、こういうやりとりが嫌いで、こんな山奥に引っ込んだのか……としみじみ実感する。
 そう思って改めて後ろに立つ三人をちらりと見てみれば、赤毛の素直そうな少年、涼しげな目元の知的な青年、しなやかな体つきの猫目の男性、どれもタイプは違えど、眉目秀麗。
 きっと助手としての能力も魔術師としての能力も高い彼らは、前々からこの日の為に用意された人員なのだろう。
 到底、即席に用意されたとは思えない人材だ。
「約束が違いますよ。こちらに助手がいるならば、彼らを連れて帰るというお約束を守って頂けないなら、こちらもそれ相応に対応させて貰います。」
 あくまで笑顔のシルヴィア。
 その態度が気に食わなかったらしいコッドフィールが、不機嫌そうに何か言い募ろうとしたのをやんわりと制して、ロワンは口髭を撫でながら驚いたような困ったような顔を作った。
「そう不機嫌になることは無いだろう、シルヴィ。君が今回、やりたくないと思っている王宮の仕事を受けてくれる御礼に、少しでも君の作業を楽にする人員を連れてきたんだ。
もし、君の時間が取られるのが嫌なら、アーラン君の下に付ければ良い。君の仕事のサポートを一人でするには、彼もまだ幼いだろう?
 そんなに一人きりの助手に負担をかける物ではないよ。」
 丁寧に、けれども確実にコッドフィールの神経を逆撫でして交渉決裂に持って行きたいシルヴィアと、間に仲裁する形で入り込み、自分の要求を突きつけるロワン。
 私の顔を殊更にっこり見つめる瞳が、侮れない。
 ……やはり彼は、シルヴィアの弱点が私だと判っている。
 何か後ろ暗いところがあると判った上で、下手に突っぱねるとコッドフィールの前で私の素性を確かめるぞと、首元に見えない白刃を突きつけてきているのか。
 ――これ何時間もやっていたんじゃあ、シルヴィアも不機嫌にもなるわ。
 シルヴィアとロワンのすさまじいタフネゴシエーション力に密かに感心しつつ、そろそろ潮時かなと身構える。

「……わかりました。それでは私にとって役に立つ助手であるか試験を受けて貰います。それに受かれば一人と言わず三人の面倒を見ます。その代わり、駄目だった場合は今度こそお帰り下さい。これが最後の譲歩です。」
 一人と言わず三人全員の面倒を。と言う部分に心引かれたらしい。
 にっこり笑いながらロワンが頷けば、主導権を握りたいコッドフィールも慌てて大仰に、許そう。と言い放つ。
 やはりこうなったか。
「アーラン、用意を。」
 シルヴィアが溜息をつきながら合図をする。
 小さく頷いてから、どうしても帰らなかった時に備えて、即席でシルヴィアと作っておいた、テストの準備を始める。
 緊張した面持ちの助手候補の三人に手伝ってもらい、応接セットの横に、隣の部屋から大きめの机を運び込む。
 更に備え付けのキッチンから大小幾つかの純銀のトレイを運び、机の上に並べ、最後に一番大きなトレイの上に少し大きめの布袋を出して、そっと乗せた。
「まったく。助手ぐらい素直に増やせば良いものを。方式によってはそちらに有利すぎないか。」
「コッドフール殿にも納得して頂けるよう、公平に致しますよ。」
 相変わらず、ぐちぐち絡むカマキリ男。
 無造作に立ち上がったシルヴィアが布袋を緩め、全員に見せ付けるように、勢いよくトレイの上にぶちまける。
「課題は簡単。これを分類して下さい。――私が使いやすいように」
 顔が映るぐらい磨かれた銀盆の上、流れ出した色とりどりの宝石の山に、その場にいた全員が、息を呑んだ。