三章 峡谷の古塔 【6】

 シルヴィアの指導の下、何とか最低限の下着を着け終わった段階で既に幾つも分かった事がある。
 まず、とにかく苦しい。
 それに凄まじく動きが非常に制限されるぞ、このコルセット。
 友人の結婚式に呼ばれて着た着物を思い出すけど、こちらも同じぐらい辛い。腕もろくに上げられないくらい。
 ウエディングドレスの下に着る、ビスチェのような、ぴったりとしたコルセットに締め上げられているのだから、当然と言えば当然だけど、これじゃぁ間違っても大声なんて上げられない。
 酸欠で死ぬ。ほんとに。
 どうやらシルヴィアの言っていた「着ればわかる」と言うのは、このコルセットをして美しく発声出来るようになっているのが、こちらの世界の上流成人女性の言葉遣いという意味なのだろう。
 このコルセットをして、食事をしたり日常生活をおくれるのか、こちらの女性は。
 立ってるだけで眩暈がしそうだ。
 しかもこのコルセットは、中世のドレスのようにウエストを細く見せる為に締め上げられているのでは無く、なんと胸を寄せて上げてデコルテを綺麗に見せる事のみに意識をおいているらしい。
 だからビスチェの胸の部分は下半分は堅い素材で出来ていて、上半分は無い。
 胸の頂が隠せてないなら下着の意味が無いんじゃないかと叫ぶ私に、上半分はシースルーの布で胸の形をドレスに合わせて微調整すると言うのが一般的だと返された。
 マジですか。どんなエロ下着ですか。

「胸元の開いて無い服を着るのは五歳ぐらいまでで、十歳にもなれば普通に胸元の開いている服しか着ない。非労働階級で胸元を隠すのは、喪中か再婚拒否の未亡人ぐらいー。後は身分が高くても、王宮に仕官していると胸元は隠す。」
 すごい執念に感じるのは気のせいか?
 確かにさ、日本の流行のメイクだって、目ばっかりぱっちり大きくするばかりに重点が置かれてて、アイプチ、付け睫毛、目頭切開まであって、他国から見たら充分不自然だし、歴史を遡って世界各地を見ればベルサイユ宮殿では1mを超す巨大カツラが女性の頭を飾り、中国の纏足《てんそく》にいたっては異常の一言だ。
 だからデコルテ部分が顔と同じ位大切っていうのは、美意識の観点からしたら、わかるっちゃ〜〜わかるんだけど……真冬でもデコルテの開いた服しか着ないって言うのも凄い。

 床に並べられたドレスは確かに全部胸元が開いている。セクシーなカクテルドレスはともかく、ロリータ服までもだ。
 ソファにふんぞり返っていたシルヴィアが、後ろに隠していた濃紺のワンピースを広げて見せると、胸元から首の所までは白い生地がデコルテを隠している。
 どう考えてもこのくそ寒い中、ハイネックの温かなドレスに手が伸びるのは当然だと思うんだけど、お貴族令嬢は寒くないんですかね。
 とりあえず、このままでは風邪を引きそうなので、ボリュームの少ない水色のワンピースドレスを着る事にする。
 カシュクールみたいになっている部分に少し手間取ったけど、とりあえず無事着られたらしい。
 ……靴だのアクセサリーは勘弁してもらおう。
 だって小物までそろえた所で、スッピンぼさぼさですよ?
 鏡の前に立つ勇気は、これっぽっちも無い。
 なのに、
「それにしても予想通りアーラはドレスが映えるね〜。社交界デビュー出来る勢いだ。」
 と嬉しそうに言われても、胡乱な視線しか返せない。
「信じてない顔だ。でもさ、子供の頃からから胸元開けて金粉だの真珠粉だの撒き散らしてるわけでしょ?十歳にもなれば胸元まで化粧して、香水つけてって毎日やってるからねぇ。そこまで綺麗な肌って、中々いない。」
「そ、そこまで子供の頃から色々やってたら、荒れてて当然の気がしますが……。取りあえず話を聞くにデコルテを隠すって事は『女』を放棄しているっていう宣言みたいなモノなんですかね。」
「上手いこと言う。たしかに胸元を隠してるのは女を放棄している立場の人間だ。だから歴代の神子姫も首元まで隠してるハズだよ」
「神子姫?」
「そう。隣国クリストファレスの国教である『光の教団』の巫女頭の神子姫は、アランタトルの化身とされているからね。巫女姫ってくらいだから女性がなるものだけど、対外的には『女』じゃないんだよ。」
 そう言えばフォリアもクリストファレスに近寄るなって言ってたな。
 脳裏に改めてクリストファレスと言う国を刻み込む。
 たしかシルヴィアが光の教団に詳しいとも言ってた気がするし、こちらに来てからは日常を回すことで手一杯だったけれど、きちんと聞くべきだよね。
「シルヴィア、光の教団とクリストファレスの事を……」
「教えてあげてもいいけど、もう少し上手に女言葉を話せるようになったらね〜。
 今のままだと女装した男の子にしか見えないから。……そういう性癖の男性にもてたくないでしょ?」
 遮られた質問に対する返答に、どんな性癖だと心中で突っ込みながらも、それ以上、追及出来ない。
 なんせ、そろそろ真面目に息切れと眩暈がしてきたし。
 こちらの世界に来てから体重計なんて乗っていないけど、痩せたのだけは確実。
 だけど締め上げているのはウエストではなく、ハイウエストだから、真面目に息苦しいわけで。
 どれだけ痩せていようが、ここを締められたら息が出来ないのは当然だと思うんだけど、慣れるんでしょうか?このコルセット。
 私はこの塔からずっと出ないし〜と、寝巻き&起き巻きになっている、長いガウンに似た洋服を着ているシルヴィアにも、是非この一式を付けてもらいたい。
 それともシルヴィアは、この拷問具をつけても普通に動き回れるのだろうか……。

 釈然としないながらも、こうしてシルヴィアの思惑通り、毎夜ドレスを着て女性の所作と発声練習に明け暮れる事になった。
 成人女性に見られたいなんて言わなきゃ良かったと、毎晩後悔しながらも。