三章 峡谷の古塔 【5】

 こればっかりは性格の問題だと思う。
 私だって綺麗な洋服やアクセサリーが嫌いな訳ではない。もちろん美味しいレストランだって大好きだ。
 休みの日にマッサージとかで入念に肩とか腰とか揉んでもらった日には至福だったし、年始年末には、もし宝くじ当たったら……と言う、お約束会話も楽しんだ。
 それでも自分がこの地で生活をしていくにあたって、自分の労働対価以上の生活をしたいとは思えない。
 自分の手で、糊口を凌ぐ生活を覚えてから随分たつ。
 小さな子供じゃないんだし、自分で手に入れた物で生活を営んでいきたい気持ちが強いんだと思う。
 思えば、昔付き合ってた彼氏に食事を奢ってもらうのも苦手だったっけ。
 だからいくらこの世界で一番無難そうな身分が、「ワケアリ上流階級の娘」だとしても、断固として拒否したい。
 倍の労力をかけてでも、労働階級の人間に擬態したいのだ。

 そんな私の気持ちを汲んで貰えるわけも無く。
 手にしたソレはさらりと上質な生地で、見た瞬間に非常に高価な物だとわかった。
 品の良い淡いクリーム色の上にさりげなく、かつ手の込んでいる水色の刺繍が、要所要所を飾っている。
 本来ならば私に必要のない物であろう箱の中の一揃えを、ため息をつきながら一瞥《いちべつ》して、他の箱も勢いで次々開ける。
 淡い桃色の豪奢な部屋着、ロリータ服も真っ青なフリフリのドレス、セクシーな真紅の細身のカクテルドレス、光沢のある白いファー付きドレス、足元まである水色のワンピースドレス、揃いの靴やアクセサリー達。
 ――これを……着ろと?
 もはや色んな意味での眩暈がしてる私の後ろから、ぺたぺたとシルヴィアの足音が聞こえてくる。
 重いため息をつきながら振り返ると、通信用の水盆を持ったシルヴィアがご機嫌で部屋に入ってくる所だった。
「フォリアに頼んでおいた女物の洋服、ようやく届いたねぇ〜。」
「……もう少し、地味な物は……なかったんですかね。」
 水盆を受け取りながら呻くように言うと、充分質素だと思うけど〜?と暢気な答えが返ってきた。
 机の上に水盆を置き、大量の洋服と一緒に届いた一粒の石を水の中に沈める。
 何度目かわからない大きなため息をつくと、水盆の中では淡いピンクの石から小さな気泡が出て、水面に波紋を作り出し始めた。
 徐々に大きくなるその波紋にあわせるように、お世話になった、けれども今一番文句の言いたい男の声が流れてきた。

「アーラン。いや、アーラか?元気にしてるようで何よりだ。
少し遅れて悪かったが、シルヴィアから頼まれた品物を幾つか送る。上流階級の女性のドレスと小物類だ。

 こっちの世界では兄妹で似た名前をつけることは珍しくないからな。男の時はアーランで女の時はアーラ。良いんじゃないか?とっさの時でも聞き間違えないだろう。

 ドレスは気に入ったか?……きっと今、お前は渋い顔をしているんだろうな。喜んでドレスを着るようには思えない。
 ――当たりか? まぁ、諦めるんだな。
 確かにシルヴィアの言う様に、労働階級に紛れ込むには無理が多すぎるとは俺も思う。

 それでも、その塔の中で着れるように、ボリュームの無いドレスを店主に選ばせたから、シルヴィアのリクエストよりは、大分地味な物を選んだつもりだ。
 その内慣れたら、俺の趣味のドレスも贈ってやるよ。
 ……絶対着そうに無いがな。

 それと流行の読み本や戯曲の声石を手に入れた。
 若い男女の声が入っているものを中心に選んだから、これもイントネーションや聞き取りの勉強に良いはずだ。
 レジデは子供が聞くような物語の声石を送れと言っていたが、戯曲の方がより生活に近い口調で話すからな。こっちの方が参考になるだろ。

 レジデと言えば、既に聞いてるかもしれんが、あいつは外側からの結界強化の為に西へ旅立った。
 時間結界を張れる魔導師が、他にも何人か同行してるから、長くても2月位で戻れるだろう。
 俺も、内部結界の強化と教団の調査が終わったら、一度そちらに顔を出すつもりだ。
 しかし、いつになるとは今の段階では言えないな。
 ……まぁ、また連絡する。
 
 ……他に何か言う事あったか?……一通り伝えたか。
 ……あぁ、そろそろリバウンドも無くなる時期だろうが、トネリ山脈は間違っても越すなよ。隣国のクリストファレスは光の教団の本拠地だ。大人しくしておくように。この位か。
 
 お前が一番着たくないであろう洋服の下に、一枚、上級女官服を入れておいた。一番地味だが一応着衣や女性の所作の練習にはなるだろう。……それでシルヴィアが納得すれば、だがな。

 健闘を祈る。」

 相変わらず皮肉屋な彼も、元気そうで何よりだ。
 忙しいであろうに、2人とも、こうやって時々連絡をくれる。……申し訳ないやら、ありがたいやらだ。
 大量のドレスに少し憂鬱かつ恨みに思っていた気持ちも、やはり声を聞けば安心と嬉しさが先にたつ。
 まぁドレスの事は、半分自業自得だしな。
 声が終わると共に動かなくなった水面を覗き込み、ただの灰色の石に転じた石を拾い上げ、いつもの箱に仕舞った。

 そもそもなんでドレスが送られてきたのか。
 いつもは夕飯の時間が終わるこの時間は、読み書きの練習をしたり文法の間違いを復習したりと、主に語学の練習に費やしてる。
 なのに何で今日は大量のドレスの前でため息をついていたかと言うと、やっぱり私が悪いのだと思う。
 私がもう少し年相応に見られるようになりたい!と、拘ったのが原因だからだ。
 アーランの時、つまり男装している時は別に良いんだ、子供に見られても。
 だってまさか二十代後半の男性に見られるのは無理だし、男の子として誤魔化していく分には十代前半と言うのは……仕方ないのだと思う。
 許容範囲だ。
 でも女性としては二十代……駄目ならせめて十八前後に見られたい!とシルヴィアに切に訴えたのが失敗だった。
 フィーナやシルヴィアの様な、成人女性の発音を覚えようとしたら、男性よりも女性は年齢や階級で言葉遣いや発音が明確に違うと指摘され、そもそもどんな年齢のどんな階級の人間をイメージしてるのかと、聞き返されてしまった。

 考えたら日本語だって「マジ、社長ウザイんだけど。株主総会とかって、ぶっちゃけアリエナイ。」なんて言う社会人女性はいないし、「明日の部活が終わりましたら、大変申し訳ありませんが同級生一同、体育館にご足労願えますでしょうか。」なんて言う中学生もいたら不気味だもんね。

 で、結局一通り私の話を聞いたシルヴィアは、いきなりフォリアにドレスを注文し始めたのだ。
 慌てて止めた私に「非労働階級の成人女性の発音を覚えるなら、服を着たほうが絶対早い〜。あと労働階級の成人女性は無理があるから駄目〜〜〜。」と聞く耳を持ってもらえず、今に至る。
 ううう。

「女官服なんて頼んでないのに〜。アーラ、この服以外でどれが着たい?」
 がさごそとドレスの山の前で遊んでいたシルヴィアが、濃紺のシンプルかつ厚手のワンピースを端にのけて聞いてきた。
「その女官服が一番無難そうに見えるので、ぜひそれが良いんですが。そして今更なんですが、やっぱりドレス着ないでも発音練習出来そうなので……着なくても良いですかね。」
 駄目だろうなぁと思いながらも、最後の抵抗を試みる。
 シルヴィアの着せ替え人形になる時間があるなら、普通の語学練習に努めたほうが良いと思うのだけど……。
「一度着てみればわかる。取りあえず着てみ」
 一番最初に開けた箱……ランジェリーが入っていた箱を私に押し付けながら、彼女はソファにどっかりと座り込んだ。