三章 峡谷の古塔 【4】

 ここにきて一月以上たった。
 最初の一週間は掃除に明け暮れたけれど、ようやく最近はきちんと毎日のペースが出来てきた気がする。
 居候の身としては、動いていた方が気が楽だしね。
 毎日のリズムが整うと、気持ちも少し楽になる気がする。
 元の世界にいた時は、仕事以外は、ぐ〜〜〜たらしてたけど、環境が変われば人も変わるわけで。

 さてさて。まずシルヴィアの寝ている午前中に家事を進めるのが、一日の始まり。
 洗濯物を洗い桶に入れつけて置きながら、軽く部屋を片付ける。
 シルヴィアの家は思ったよりも広く、しかもアリの巣の様に入り組んでいるから、リビングキッチンみたいな主要な部屋しか掃除をしなくても、結構大変。
 一通り洗濯物を干し終えると、次はお昼とお夕飯の下ごしらえ。
 基本的にシルヴィアは一日二食しか食べないので、同時に作ってしまう事が多いかな。
 巨大な貯蔵庫には、充分な蓄えの食材が新鮮なまま並んでいるので、好きな料理を作ることが出来るし、失敗してもフォローが効きやすくって助かる。
 2ヶ月前に貯蔵した生鮮食料品が、何故新鮮なままなのかは不思議だけど、最近はあまり一々驚かなくなってきた。

 なんせシルヴィアの家は、不思議な魔術器具のオンパレード。
 私がこちらの魔術具を見て驚くのは当然として、こちらの世界の人から見ても驚くような道具が、この家には山ほどあるらしい。
 なので最近はこれは何?とか聞かず「あら便利」位の感覚で使わせてもらっている。
 人間慣れって大事だよ。
 図書室と言う名の納戸から料理の本も数冊発見したけれど、基本的には創作料理が多い。
 なんせ書いてある材料名や調味料名がわからないので、仕方ないと言えば、仕方ないのかな。
 それよりも根菜、葉のもの、白身魚、赤身魚みたいに、自分の知ってる分類で分けてみた方が、案外美味しい物ができる気がするしね。
 折角見つけ出した料理の本は、丁度よかったので、有意義に漬物石代わりに使っている。

 そうして太陽が中天を大分過ぎた頃、ようやく彼女が起きてくると、今度は午後から魔術具の作成の手伝いをする。
 かといって、私が何を作れるわけでも無く、基本的に彼女からの質問攻撃に答えるのが仕事だ。
 レジデは私にこちらの世界で生きていくのに必要な知識、風土、経済、世界情勢、生活習慣を教え込もうとしてくれていたけれど、シルヴィアはあくまでマイペース。
 逆に元の世界にはどんな道具があったか、こっちの世界で不思議に思ったことは何か。という、疑問の嵐をぶつけてくる。
 実際今も彼女が作っている魔術具は、最初の頃、私が掃除機が欲しい〜!と叫んだのを聞きつけて、掃除機とは何だね?と、作り始めた物だ。
 彼女の好奇心はそこに留まらず、テッラには他に生活家電にはどんな物があるか、コンセントや電気、電池の仕組みまで話が多岐に渡り、こっちが知恵熱を出しそうだったので、まずは一旦停止。
 取りあえず、私がこちらの世界の言葉やここでの生活に慣れるまでは、一作目の掃除機作りに専念する事で合意してもらった。
 今も彼女は手元にある、私が描いた掃除機の絵――一般家庭にありそうな掃除機、スティックタイプの掃除機、円盤型の自動掃除機など――と、にらめっこしている真っ最中だ。

「……掃除機って面白いよね、風を使って粉塵を一箇所に集めようって考えがダイナミック。」
「私にしてみれば、掃除機を作るのに宝石を加工してしまうシルヴィアの方が、ダイナミックですよ?」
 ソファにだらしなく寝そべりながら、書類をめくってるシルヴィアの髪を踏まないように注意し、隣のソファに腰を下ろす。
 ただ話しに付き合うだけでは手持ち無沙汰なので、手に持っていた大きな箱から、幾つもの布袋を机に並べる。
 そして最後に箱の底できらめく、まさに玉石混合の石を覗き込んだ。
 相変わらず凄い箱だ……。
 あまり石の名前に詳しくないけれど、ローズクォークアメジストのような水晶系のものから、その辺に転がっていそうな不透明な石、玉砂利、ルビーやサファイヤのような透明度の高い宝石まで、ありとあらゆるタイプの石が、ビー玉のように箱の底でひしめきあっている。
 子どものおもちゃ箱みたいな雑多さだけれど、ジュエリー好きなら卒倒するかもしれない。

 私達の生活で外せない「電力」と言うものが無い代わりに、こちらの世界では、精霊の力を封じ込める鉱石が、世界中いたるところで使われているらしい。
 以前レジデが見せてくれた魔法は、紙に書いただけで皮紐が新しくなったけど、あれはレジデが魔術師だから出来た事。
 普通の人が使う魔術具は、魔方陣と精霊の力の両方がそろって初めて動くそうな。
 そう言われて、私が毎日お世話になっている台所のホットプレートを見てみると、確かに材質は何かの石で、平べったい円盤形の石の中央には魔術文字が彫ってあった。
 理屈は良くわからなくてもTVは見れるし、電子レンジも使えるっていうのに似てるかもしれない。

 取りあえず透明度の高い、多分値段も高いであろう石を選んで、布袋に分類していく。
 レジデやフォリアとのやり取りで知ったのだけど、シルヴィアの作る魔術具は精度が凄まじく高く、王宮や魔術学院から直に依頼が来る程なんだそうな。
 だから彼女は、そんじょそこらの貴族が太刀打ち出来ない程のお金持ちらしい。
 どう見てもそんな風には見えないのだけれど、彼女の仕事道具であるこの箱も、売れば普通の人が一生遊んで暮らせる額になると言われると、納得するしかない。
 ……だってまだ同じような箱が、床に沢山転がってるし。

 それならこんな辺鄙な所に住まなくても良いんじゃ。と一度本人に聞いてみた所、こんな素敵な場所は無い!と口角泡を飛ばして力説された。
 天才肌の彼女には、海に通じる川が流れ、渓谷をわたる風と火山山脈に通じる鉱石の取れる崖の中と言うのは、絶好の住まいなんだそうな。
 ここまで濃密に、火水風土の精霊たちが遊んでいる場所はそうそう無いらしい。
 しかも泥棒も入れないセキュリティの高さ!
 面白みの無い、煩雑な依頼が来ない、辺鄙な所も最高!と、歌うように言われた日には、頷くしかない。

「そう言えば、こちらの人は装飾品として宝石を付ける事って無いんですか?」
 元の世界で見たよりも、ずっと甘いカッティングをされた宝石を袋に入れる。
「ん〜〜?……無くはないかな。……王侯貴族なんぞになると護身具も兼ねてるし、じゃらじゃら着けてるねぇ。…………ただ労働階級の一般家庭の子がつけるかって言うと、疑問だなぁ。」
 集中していると返事が無い事も多いから、あまり期待はしていなかったけど、今はきちんと返事があった。
「……だからアーランが普通の階級に見えないのも仕方ないよね〜」
 だた、返事があったからといって、理解できるかはまた別の話で。
 一般階級の子がアクセサリーをつけないって話が、どうして私が一般人に見えないって話になるんだ?
 そんな疑問が顔に出たんだろうか。
 こっちが聞く前にソファから細い指がにょきっと出て「アーラン、耳に穴。」と指摘される。
 そしてそのまま、指をこちらに向けてトンボでも取るようにくるくると回して遊んでいるのが謎だ。
「こっちで一般の子の装飾品って言うと〜、木彫りの花とか貝のネックレスとか多い。 耳に装飾品をつける穴を開けてるのは、非労働階級が、普通〜〜。」
 歌うように言われて納得する。
 なるほど。以前ピアスを指摘されたことがあるのは、その為だったのか。
 ちなみに塞がらないように、ずっと着けてたシンプルなピアスは、時の館を出てから外してある。
 もう塞がってもどうでも良いし。
 そんな話を聞いて無意識に耳を触っていると、むっくりとシルヴィアが体を起こし、置いてあったお茶をぐびぐびと飲む。
 ぷっはーっと飲み終わったカップを机の上に押しやりながら、
「だからアーラは、女性として生きてくなら、落ちぶれた貴族の娘とか、閉じ込められて育った上級貴族の妾の娘辺りじゃないと、変」
 と、嬉しくない事を言い切って、にんまりと笑った。