三章 峡谷の古塔 【3】

 ようやく開けた扉の向こう、予想通り散らかった部屋の中央に、彼女はいた。
 三十畳はあろうかと言うこの部屋は、生活の要の部屋なのだろう。
 キッチンやダイニングソファーが並んでいるし、何よりも日の光が入る。
 どうやら崖の中に埋め込まれた、地中の部屋で無く、崖の上の平野部に少し出ている――つまりは、半地下の部屋になるようだ。
 扉が開いた音は聞こえたはずなのに、何か夢中でソファの横の机に書きなぐっている。
 ここまでで既に、フォリアの言っていた色々な意味での天才肌と言う意味が、何となく実感出来ていた。
 だから彼女がスイカ割りをする時のような分厚い目隠しの布をしながら文字を書いているのも、床まで届きそうな長さの銀髪も、多分、私が仕事始めに片付けるであろう部屋の惨状に対しても、殆ど驚かないですんだのだろう。

「シルヴィア、流石にこれは無いんじゃないか。」
 フォリアは足の踏み場の無い床の上を、踏んでも大丈夫そうな書籍を瞬時に選んで、ソファに近づく。
 慌てて追おうとしても、そもそも足の長さが違うせいで、彼が歩んだ道を辿る事が出来ない。
 何よりも初対面の人の荷物を踏みつけるのには、流石に抵抗がある。
 結果、フォリアと同じ行動をとるのは諦めて、床の荷物を積み重ねて、先ほどと同じように道を作り始める。
 ソファまで3mちょいの距離が、激しく遠くに感じるぞ。明日は確実に筋肉痛だ。
「……あ〜、ごめんごめん。いらっしゃ〜い。」
 ようやくフォリアに気がついて、ぶつぶつと呟きながら書き殴っていた紙から顔をあげる。
 年の頃は40代半ばだろうか?
 いやいや、実は20代か?
 コレばっかりは、正直わからない。
 痩せぎすの顔は目元の布に半分隠れているし、皺なのか痩せすぎで頬がこけているのか判別出来ないのも原因だ。
 何となく、のん気そうな間延びした話し方と、これ以上無いほど散らかった部屋を全く気にしない様子も、年齢不詳に一役買っていた。
「相変わらず良い男っぷりだね〜。」
 怒りと呆れ果てた様子を隠しもしないフォリアに全く臆さず、にへらっと笑う。
 こめかみを押さえて怒りを無理やり発散させているフォリアを見て、少し意外に感じた。
 何か微妙に彼女に頭が上がらないのだろうか。
「ほら、女の子が来るって言ってたから一部屋空けてあげようと思ったんだよ〜。試作の自動荷物運搬機を使ってさ。」
 彼女が指差す方向に、リビングから繋がっている部屋があった。
 ただし、開いたドアの向こうには、まだ大量に荷物が残っているように見える。
「だったら無理せず、また部屋を増やせば良かったろう。なんでこんな惨状になってるんだ。」
「もっと早くに来ると思ったから、先に階段に荷物をどかしてあげようと思ったんだよ。泊まりに来る女の子って初めてだしさ、日の当たらない部屋じゃ悪いかな〜って思って、ここにしたの。」
 えっへんと、まるで小さな子どもが褒めて!と言うような感じで、彼女は続ける。
「んで、試作機を超特急で動かしたまま寝ちゃったら、こうなってたワケ」
「……どう考えても、あの部屋にぎっしり詰まっていた荷物が、階段に置ききれる訳無いだろう。それに自動で階段に運ばせたと言うなら、この部屋の惨状は何だ。」
「ん〜?向こう見てないからわからないけど、ハピナー達にも手伝わせてたから、運搬機は階段に置けるだけ置いて、置く所が無くなってから、あの子達がこっちに置いたんじゃない?」
 そういえば扉の前の雪崩荷物の中に、宝石が埋め込まれたボロボロの小さな荷車があった気がする。まさかあれか?
「で、女の子は?」
 最早何も言う気が無くなったのか、座り込んでいた私をフォリアが無言で指し示す。
 会話によってへたり込んだわけでなく、朝からの荷物運搬に流石に腰が悲鳴を上げ、座り込みながら荷物を移動してたのだ。
 丁度ソファの死角に座り込んでいたため、見えなかったらしい。
 ソファの背からいきなりシルヴィアが顔を出した。
「あれ?……男の子だ。」
 濃い紫色の目隠し布が顔の半分を覆ってても、非常に感情が外に出る性質らしい。
 やっぱり男の子にしか見えないのかと思いながら、そのまま正座をして頭を下げる。
「はじめまして、アーランです。お世話になります。」
 ちょっと変だけど、立って挨拶することが出来ないぐらい色々な意味で疲れてたので、許してもらおう。
 彼女は後ろを振り返り、ごそごそと机の書きなぐっていた紙をどかすと、多分メモ用紙にしていたらしい紙をひっくり返して読み始める。
 気のせいでなければ、レジデからの手紙らしい。ちらっと見えた文字に覚えがあった。

 うぉーとか、奇妙な声を上げながら手紙を読み終えた彼女が、呆然としたようにテッラ人……と上を見ながら呟く。
 そして、はっと気がついたようにこちらを見て、でもやっぱり女の子か!と騒ぐのを、フォリアの手が遮る。
「どうしてその文面で、女の子が来るとしか覚えていないんだ。」
 シルヴィアの手から手紙を取り上げ読んでいたフォリアが、ため息と共に突っ込んでくれる。
 思わず目をやったフォリアが、何とも言えない顔で頑張れ。と呟いたのが忘れられない。

 あれから一月以上経ち、不思議な魔術具で埋め尽くされているこの館での生活も大分慣れた。
 レジデ達から何度かもらった連絡で、フォリアの言うとおり長引きそうだと言うのも判っている。
 シルヴィアも変わった人だけれど、充分良くしてもらっていると思う。
 だから今感じている不安は一つだ。
 私、ここで長期間やっていけると思うけど、外と違う一般常識を身につけてしまいそうなんですが……。

 デザートの器を洗い桶に沈めながら、こればっかりはどうしようもない不安を、ため息と共に振り払った。