北の山の麓、ワケあり1人暮らしの女性の家にご厄介になる。
そう聞いていて無意識に想像していたのは、緑の森にある丸太小屋。
もしくは山の途中にあるアルプスの少女ハイジ生活。
少なくとも、緑の山野の中で生活するもんだとばかり思っていた。
けれどもハピナー達が誘導した先、今まさに船の先端に向かい合わせになっているのは、崖に埋め込まれた巨大な石の扉。
恐る恐る視線を上げれば、川の中央からはあまり目立たないようにカモフラージュされているけれど、――それは紛う事なき、石の古塔だった。
海辺にある古く朽ちた灯台を縦に半分にして、崖の中に埋め込んだらこんな感じになるんではないだろうか。
子どもたちに読んであげた絵本に出てくる、ラプンツェルの塔をも思い出す。
元々は白亜の塔だったのかもしれないけれど、十年二十年の造りではないのだろう。
一見すると川と崖に囲まれた牢獄のように見えなくもない。
レジデと何も分からず過ごしていた『時の館』を出てから、……監禁度というか軟禁度というか、上がってません?
真夜中に来ていたら、ハピナー達はガーゴイルに、この塔は確実にお化け屋敷に見えてたと思う。
治療結界なんぞ張ってある所からも、私の中のシルヴィアのイメージは、無意識とは言え、もうすっかりクララのような病弱で繊細な女性像だったけれど、どうやら大分違うんではないだろうか。
「シルヴィアさんはどんな方なんですか?あと私のする仕事は?……今後フォリアとレジデとどうやって連絡取ったら良いんでしょう?」
到着直前まで聞かなかった事を、呆然としたまま質問する。
どんな相手でもどんな仕事でも選り好みなんて出来る立場ではないので、他の聞きたい事を優先していたんだけれど、あまりにも想像と違う現状に、少し不安になった。
「シルヴィアは魔術具の研究開発をしているが……まぁ、色々な意味で天才肌だな。お前の仕事は主に話し相手になってくれればそれで良い。後は少し、家のことを手伝ってやってくれ。」
まずはこちらの世界に慣れろ。との言葉に頷きながら、船から降りる準備をするフォリアの手伝いをする。
今更じたばたしても仕方ないか。
まぁ、なるようになるだろう。
改めて自分に活を入れると同時に、鈍い重低音を立てながら、ゆっくりと扉が開き始めた。
サラダ菜を冬の初めの冷たい水で洗い、デザートにする果実の皮をむく。
そのままカットしたフルーツは窓辺で冷やしておいたシロップに漬け込んで暫く放置。
食べる頃には味が馴染んでいるだろう。
フランスパンに似たバケットはざっくり切って、スパイスを混ぜ込んだバターを片面に塗りこみ、奥の鍋でゆで卵を同時に作り始める。
冷蔵室から持ってきた鳥肉は、昨夜の内に皮にフォークで穴を開け、塩と酒とハーブで下処理済みだ。
味の馴染み具合を確かめてから、それを油を敷いた鉄製のフライパンの上に皮の方から乗せた。
耳をそばだてて、油の音がパチパチと小さな音を立て始めるのを確認してから、以前漬けた根野菜のピクルスを付け合せにお皿に出す。
部屋中にフライパンの立てる景気の良い音と、美味しそうな匂いが立ち込める。
――そろそろ起きてくるかな?
両面焼き上げた鳥肉をスライスして、ソースと絡めてからゆで卵とサラダ菜と一緒に手早くサンドイッチにすると、丁度、リビングの扉が開く音がした。
「おはようございます、シルヴィア。サンドイッチが出来てますよ。」
そう言って後ろを振り返れば、腰より長い銀の髪を幽霊のように前後に垂らし、ふらふらとソファに向かう姿があった。
「……。良い匂いがする。」
ソファーにぐったりと痩せぎすの体を預け、机の上に顎だけ乗せて眠気と格闘しているらしい彼女の前に、出来立てのサンドイッチとピクルス、絞りたてのジュースを置いた。
無言で手を伸ばし、ジュースをあおる。
サンドイッチを、もふもふと食べ始めるのを確認してから、食後のお茶の準備をしながらキッチンの洗い物を手早く片付けはじめた。
超低血圧のシルヴィアが、大分ゆっくりと、朝食と言う名の昼食を食べ終わる頃に、ようやく彼女との一日が始まる。
「お口に合いましたか?」
さわやかな香りのお茶とデザートの果物を持っていくと、今日も美味かった〜。と言いながら、目隠しの布をしているにも拘らず、熱々のお茶を器用に口元に持っていく。
どうやら、ようやく覚醒したらしい。
正確に言えば、彼女の目を覆う厚い布は、目隠し布では無い。
盲目の彼女はこの塔の中に限り、自由に歩き本を読むことすら出来るのだ。
実際今も、ここ最近開発している魔術具の、複雑な仕様書をペラペラと遊ぶようにめくっている。
シロップをかけた果物を美味しそうに頬張り終わると、物足りなそうにお皿の中を覗きこむ。
「アーランが来てからホント楽、居なくなったらどうしよう。」
「その内、居なくなりますってば。」
苦笑しながら彼女のお皿を台所に下げる。綺麗に整えられた台所でお皿を洗いながら、一月前のここに来た頃を思い出した。
古めかしい外観を裏切らない螺旋階段を登りきると、そこには荷物で塞がれた、大きな木の扉が待っていた。
「これは……入るなと言う意味じゃないですよね。」
思わず尋ねると、フォリアもうんざりした顔で、そうだろうな。とため息をついた。
ここまで登った階段は、決して狭くはない。
しかし飽くまで階段は階段。物置ではないはずだ。
けれどもここまで辿り着くまでに見たのは、積み重なった大きな木箱。それを支える紙の束。崩れ落ちる書籍たち。
半端ではない量の荷物が、所狭しと並んでいた。
火災予防条例違反所の騒ぎじゃないぞ、この酷さは。
フォリアと2人、縦に連なるようにして慎重に進んで来たけれど、階を進める毎に酷くなり、目的地の扉は仕上げとばかりに、荷物の雪崩によって塞がれていた。
荷物を違う場所に移そうとしても、そもそも退ける場所がない。
自分達が登ってきた獣道のようなスペースを使うしかないだろうが、今度は下れなくなる。
直ぐに取って返すつもりのフォリアがゲンナリしても、それは仕方がないと言えた。
「シルヴィア!いるのか?!」
扉に向かって叫ぶ事数回、ようやく扉の向こうから女性の声が聞こえた。
「あ〜フォリア?良く来たね。……取りあえず。ソレ、何とかして欲しいんだけど。」
暢気とも取れる間延びした声で、いや〜困ってたんだよねぇと続く発言に、目を細め深い深いため息をつく。
――えぇと、これは人海戦術で荷物をどけるしかないですよね?
結局2人で往復すること十数回。
扉が開く頃には、すっかり辺りは明るくなっていた。