ナイフで切込みを入れたように、暗闇に一条の光が差し込む。
それは清らかな鈴の音と共に広がり、暗闇に慣れた私の目を細めさせる。
淡い光は装飾壁を通して、フォリアと私の周囲にアラベスク模様の陰影が浮かび上がらせ、まるで魔方陣の中にいるみたいに見えた。
――もしかして、また魔方陣で何処かに飛ばされるの!?
時の館での魔方陣を思い出して、無意識に思わず後ずさろうとした私の背中を、フォリアの体に抱きとめられる。
魔方陣は痛いわけではないんだけれど、言うなれば全く見えないジェットコースターの様に、自分でコントロールできない「圧」を受ける。しかも強烈に。
本音を言えば、一度でこりごりだ。
体に力を入れて、あの重圧を覚悟した私の予想とは別に、体は一向に重くならず、鳴り響く鈴の音と共にみるみる光の帯が太くなっていく。
魔方陣じゃない?
最後に一際高い鈴の音を立てて、二人の前に、レンガ造りの小さな小道が現れた。
「びっくり……しました。」
小さく呟いて、そろそろと体から力を抜く。
どうやら飛ばされないですんだらしい。
装飾壁の隠し扉に、レンガの小道って、アルセーヌルパンか? ホームズか?
勝手に進んで良いのかわからず、ぺたぺたとレンガに手を当ててる私の背中をフォリアに軽く押され、おそるおそる中に入る。
一体どういう作りなのだろうか。
照明代わりなのだろう、暖かみを帯びた色のレンガが、所々淡く光り、行く先を照らす。
まとわりつく空気は明らかに冷たい湿気を帯びていて、足を勧める方向からは水音が響いてきた。
――この先に船が待っているのは確実みたい。
緩やかな上り坂になった小道を足早に進むと、途中からレンガの風合いが安っぽく薄汚れたものに変わり、どんどん道が狭くなる。
普通に館から出て船に乗るのかと思っていたけれど、これじゃまるで犯罪者の脱獄シーンだ。
間違っても今、地震とか起きて欲しくない。
途中、鈴の音が後ろから小さく聞こえて、何かが閉じるような音が聞こえたけれど、振り返るのもはばかられる位、道は狭く悪路になっていく。
照明代わりの光もどんどん弱くなっていき、これ以上狭くなったら、長身のフォリアは屈まないと歩けない程になって、ようやく水の流れる地下道のようなホールに出た。
「ここは……?」
「地下の上下水道施設への入り口だ。」
さっきまでいた部屋に窓が無い理由は、地下だったからなのか。
妙に納得して、人工的に整備された薄暗い水路に目をやると、幅広の小さい船が一艘泊まっている。
薄く霧がかっているせいで良く見えないけれど、ベニスのゴンドラみたいな細長い船ではないらしい。
近寄ってみると、外の無骨さとは裏腹に、小さな屋根の下は意外と快適そうに見えた。
珍しさも手伝ってキョロキョロあちこち動き回る私に、やんわりと注意が飛ぶ。
「霧を発生させるから、中に入っていろ」
?……霧?
詳細は良く判らないけれど、恐る恐る船に乗り込む。
泊めてあっても小型の船は大分揺れる。
不安定な中、腰を屈めてもぐりこむように屋根の下に入り座ると、狭いとは言え、案の定、中はけっこう快適だった。
まぁ……どう見ても身分のある人のお忍び用に見えるよね。この船。
船の中にいるせいで、水面が近い。
何とはなしに、ぱしゃりぱしゃりと動く波を見ていたら、フォリアの合図と共に、急にドライアイスのような煙が船から噴き出しはじめた。
唖然とする私の前で、見る見る霧が濃くなり、船から噴き出す煙がなくなる頃には、あたり一面真っ白になった。
もはや船の先端部分さえ、かすんでよく見えない。
目立たないようにする為にとは言え、どえらくダイナミックな仕掛けだ。
準備が出来たのか右舷を外から大きく蹴り、離岸させる。
それと同時に、ぎしり大きく船を傾けて、フォリアが隣に滑り込んで来た。
馬車と同じぐらいの空間はあるけれど、やはり長身のフォリアには狭そうだ。
「行くぞ。」
手馴れた手つきで内側から幌を閉めると、地下道の照明が殆ど消え、それと同時にどういう仕組みだか勝手に船が進み始めた。
おお、真っ暗だ。
何とは無しにワクワクしてしまうのは、きっと遊園地のアトラクションを思い出すからだろう。
ただ残念ながら、如何せん寒すぎる!
深夜の霧がかった船の上で暖を求めるのは間違っているのだろうけれど、このままだと風邪をひきそうだ。
雪国育ちだが、寒さに対して備えが充分出来ていなければ、風邪だってひく。
こちらの世界は体が資本。
半ズボンから伸びた足を抱え込み、羽織っていたマントの前をしっかりとかき合せた。
そんな様子に気がついたのか、言葉と共にふわりとフォリアのマントが上からかけられる。
「すぐに地下道から川に出る。それまでは寒いだろうが我慢してくれ。」
「大丈夫です。それよりフォリアの方が風邪をひきますよ。」
慌てて返そうとした私を、大きな手にやんわり押さえられた。
「鍛え方が違う。それにコレもあるからな。」
ちゃぷりと音がする小さな無骨な水筒を手に押し当てられた。
あ、いいな。
「持ってきたんですね。」
暗くてきちんと見えないけれどコレはどう見ても、さっきのお酒だろう。
「基本的に水の上では火精のコントロールが難しいからな。特に今回みたいに霧が発生している場合は嫌がって出てこない。」
なるほど。便利そうに見えても色々制約があるのはあちらの世界と同じか。
「じゃぁ私にも一口下さい。」
ここまで寒い時には飲むに限る。手を伸ばして水筒を受け取り強引にキャップを開ける。
そのまま口に持っていこうとした手より先に、フォリアの長い指がストップと言うように私の唇に押し当てられた。
「……コレは強いぞ。お前、その前に酒飲めるのか?」
何故そんなに意外そうなのか、逆に聞きたい位だ。
「一応成人してるので。……以前は1人で晩酌してましたし、弱くはないんじゃないですかね」
フォリアより強くはないだろうけど。
「晩酌……」
ん?こちらでは女性はそんなに飲まないものなのかな?
やや唖然とした風のフォリアは、もう止める気がないらしい。
寒さに耐えかねて、フォリアの様子を気にせず口に含むと、上等な蒸留酒が喉を転がり落ちていく。
流石。味も香りも良い。
久々のアルコールに思わず美味いっと呟いてから、もう一口。
日本酒も好きだけど、これもなかなか。
火がともる様に体の中から温まったのを確認してから、ご馳走様と大きな手に銀色の水筒を返す。
名残惜しいけど飲みすぎては元も子もないし、遠慮して飲んだつもりだ。
まぁ、小さいボトルだから結構減ったかもしれないけど。
残量を確かめるようにして、大分軽くなったボトルを左右に振るフォリアに気がつかないふりをしながら、背もたれに体を預け、船の揺れに体をまかせる。
この蒸留酒にはちょっと癖のある濃厚なチーズが合うと思うけど、そんな事言ったら益々絶句されそうだから黙っていよう。
そんなこんなしていたら、ようやく外から聞こえる水音が変わり始めた。