二章 雨にけぶる街 【7】

 世界最大の宗教が敵
 ……見つかったら大昔で言ったら魔女狩りみたいな感じ?それとも現代テロの親玉みたいなものだろうか?
 ……いやいや逆に、物珍しがられて怪しげな儀式か何かで人身御供とかかも知れない。
 どちらにしたって、ロクなもんじゃない事だけは確かだ。
 人間の想像力と言うものに限界があるのをはじめて知った。
 あまりのスケールの大きさに、思考回路は完全に停止。
 フォリアが話しかけるまでの暫くの間、私は完全に石化していた。
「こちらの世界で最大の宗教が光の教団と言うのは、実は少し語弊がある」
「ごへい……ですか?」
「テッラではどうか知らないが、こちらの世界で最も信じられているものといえば、精霊信仰だ。人の力では癒せない傷の治癒や、日照りの解消を可能にするのは5大精霊のお陰だからな。そして5大精霊の仕えている神が、天空の神々と言うわけだ。」
 えぇと?
「つまり精霊信仰が世界最大の宗教……と言うことですか?」
「そこは難しい所だな。皆無意識に信じているのが精霊信仰と言うだけであって、光の教団のように教会があったり教祖がいて、布教活動をしているわけではない。」
 ふむふむ
「精霊を操る魔術師が所属している魔術ギルドも、別に宗教団体ではない。学術団体の方が近いしな。……つまりは信仰と宗教との違いか」
 なるほど。
 例えばだ。日本で一番大きい宗教は?と聞かれたら。
 一応「仏教」と答えると思う。
 仏壇がある家は少なくないし、お盆やお彼岸にはお墓詣りに行く人も多い。
 でも「個人的に」特定の宗教を信仰している人は意外と少ない。それが日本で一番大きな宗教の仏教だとしてもだ。
 特に若年層で宗教を信仰している人は、それだけで噂の種になる。
 日本人の一般家庭には仏壇も神棚もあるし、勿論お正月には神社、クリスマスは結婚前の大イベントだし、結婚したら今度はお盆が大イベントだ。
 私も実家の宗派は?と聞かれたら真言宗だの浄土宗だの仏教の宗派を挙げるけれど、個人的には勿論、無宗教。
 てか、神様いるなら帰してくれ、日本に。
 だけど、日本で一番信じられているものは?と聞かれたら。
「無宗教と言う名の八百万の神信仰」と答えると思う。
 無宗教と言っていても、神社やお寺で乱暴な事はしたくない、ご飯にお箸は立てたくないし、樹齢数百年の木を見ると何か宿っている気がする。
 つまり無宗教と無信仰とは違うという事だ。
 だからフォリアが言った精霊信仰とは、生活に根付いた土着信仰であり、お布施を誰かに渡して神様に理解を求める「宗教」ではないと言いたいのだろう。
 日本人が信仰心が薄いのは、それだけ平和だからだ。
 爆弾が降って来るわけでも無し、流行病でバタバタ人が死ぬわけでもない。
 重い病にかかったとしても、まずは神より医者に頼る。
 そして医者から助かるか分からないと言われた時に、初めて神にすがる。
 ならば魔法が使えるこちらの世界でも同じ感覚なのかもしれない。

「あのアランタトルの神話の続きは、一般的に2つある。一つはカケラを渡して母親の病が治ると言うものだな。もう一つはカケラを渡さなかった子供の村が、はやり病で全滅すると言うものだ。」
 全滅。随分過激だ。
「さっきお前は神話の意義を問うたが、この神話の意義は異世界に触れるな…だ。」
「あぁ。……なるほど。ようやく合点がいきました。」
 精霊の暴走で世界を震撼させたのは、ここ数十年だとしても、きっと異世界の道具をめぐってトラブルになったこともあるのだろう。
 触らぬ神にたたり無し的な、神話や昔語りがあっても不思議じゃない。
 そしてそんな一般論に反して、異世界の品物に強い執心を示す世界最大の宗教団体。
 ……あー、何か絶対、ロクなもんじゃなさそう。
「気をつけます。係わり合いになりません」
 小さく手を上げて宣言をすると、口角を軽く上げて同意を示された。
 う〜む、色男は何やっても様になる。
 でも教会には近寄らないとして、光の教団の団員を見分ける方法が判らない。
 何か方法があるのか更に尋ねようとした瞬間、部屋に澄んだ鈴の音が響いた。
「もう少し詳しく話してやりたいが、そろそろ時間が無い。光の教団については、シルヴィアが詳しい。現地で良く聞いておけ。」
 強く頷く。
 避けられるトラブルは避けたい。
 用意を始めろとの声に少ない荷物を慌しくまとめ、仕上げとばかりに机の上のクッキーを一つ口に放り込む。
 うん、美味しい。
 私が外套まで羽織ったのを見てから、フォリアは部屋の明かりに手をかざし消していく。
 窓からの明かりが無いせいで、一気に濃くなる闇に気にした様子も無く、次々に明かりを消しながら、フォリアに背を押され先ほどの浴室の扉の前に誘導された。
 ――廊下に出るんじゃないの??
 見上げた顔は、手元にある小さなランプの弱い光が辛うじて届くのみ。
 上目で見上げないといけない程、彫りの深い顔が近くにある事を感じて、なんだか急に闇が重くなったような感じを受けた。
 小さな光る石の輝きをうけて、フォリアの群青の瞳が艶やかに細められる。
「今後、こちらの世界に慣れるまでは、対外的には男で通せ。――シルヴィアには簡単な事情を話してあるから女性としての作法を学ぶ事はかまわないが、女だとわかるとトラブルも増える。」
「? こちらの人から見たら結婚適齢前の少女にしか見えなくても、トラブルなんてあるんですか?」
 意外と物騒なの? この世界。
 思わず眉をひそめると、なんともいえない顔で軽く苦笑された。
 最後の明かりが消される瞬間、背中に置かれていた手が首筋を軽く撫で上げ耳元近くにまわる。
「昨夜のお前の様子を見て、女に見えないと言うものはいないだろう。」
 暗闇の中で吐息を感じる位の距離で囁かれて、脳裏に昨夜の情景が一気に駆け巡った。
「……っ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 背筋を駆け上がるぞわぞわした感覚を、目の前の装飾壁を軽く叩くことで、無理やり押しとどめる。
「……い、意外と、意地が悪いですね。フォリア」
 呻く様に言うと、小さく声を上げて笑われた。
 初めて声を上げて笑ったの聞いたけど、昨夜の事は無かった事にして欲しいと思っているこっちの気持ちを充分わかった上で、言ってるよね!?
 キシャーッ!
 猫だったら背中逆立てて、顔引っかいてるぞ!
 まだ、くっくっくと、笑っている声が憎らしい。
 見て見ぬ振り位しやがれ、武士の情けを知らんのかっ。
 突然の攻撃に、さぞかし暗闇の中でもわかりそうなほど、顔が赤くなっているだろう。
 憮然と抗議をしようと、口を開いた瞬間
 またあの鈴の音が、高く、涼やかに部屋中に響いた。