一章 星降る時の館 【12】

 軽量コンパクト汎用性信頼性。

 これはアウトドア等の野外生活の荷造りの基本。
 さて問題です。異世界生活の荷造りの基準は何でしょう。
 車通勤も長くなれば、色々な物が車に乗っているわけで。あれもこれもと思うのをぐっと自制して、目の前の机に候補の品々を出してみる。

 携帯電話とミニソーラーパネル付きの携帯充電池
 細身のステンレスボトル
 筆記用具と今までのノート
 キーホルダーにしてたペンライト
 全部置いていくのが正しいというのは判っているんだけど、何だかそれが最後の命綱みたいで、少しだけ持って行かせてもらうことにした。
 見慣れた古時計を見ると朝の六時前。
 現実味が無いまま、あと半刻もすればフォリアが迎えに来る。
 ――時の館から私を連れ出す為に。
 三ヶ月と思っていたレジデとの平穏な時間は、昨夜の事件をきっかけに、突如終わりを告げる事になった。

「お前らが思っているよりトーコを隠し通すのは難しいと思うぞ。」
 レジデから魔術ギルドのカケラに対する考え方は一枚岩ではなく、それぞれの派閥があると説明を受けている最中の一言だった。
 揶揄するわけでも、皮肉でもなく、ただ事実を述べているだけの重い一言。
 その一言に、思わず二人とも声を失った。
 私に話しかけていたのを一度中断して、レジデが倍近くの背丈の親友を見上げた。
「結界から出る時に見つかる危険性が高いという事ですか?」
「いや、それもあるが、もっと根本的な問題だ。トーコはこちら世界の人間にしては胡散臭すぎる。」
 う、胡散臭い。
 あまりの言い様に一瞬絶句した私の傍に近寄ると、フォリアは私の髪をまとめていたシュシュをいきなり抜き取った。
「実年齢と外見年齢の相違から始まって、貴族階級には見えないが、労働者にしては手や髪の状態が良過ぎる。 それに歯の状態が平民階級では有得ないだろ。」
 その大きな手が髪の中をすべり、一房指に絡める。
 どう考えてもトリートメント不足だし、枝毛もあると思うんですが!?
 眉をしかめる私を面白そうに軽く笑う。
「年を誤魔化して、このイントネーションが少しずれているのも、こちらの文化に馴染んでないのも無理やり時間が解決するとしてだ。今度はお前がそんな結婚適齢前の少女と住んでる事が、ますます胡散臭い。」
 う〜むと唸るレジデの横で、私も別意味、頭を抱える。
 友人には「心はいつでも十八歳♪」などと、のたまってるのがいるが、個人的にあまり若く見られる事に喜びも感動も見出せない。
 若々しいのと若い事は違うし、実年齢に見られないというのは、人間として幼いとも取れるわけで。
 少女と呼ばれるような年を過ぎて早十年。
 結婚適齢前の少女と言われる事は、背中が薄らかゆくなる様な壮絶な拒否感があるぞ。
 取り合えずシュシュを取り返して、いつもの様に後ろでまとめる。
「すみません。そんな事を言ってる場合じゃないのは重々承知の上ですが、どうしたらせめて成人女性に見られますかね。」
 我ながらゲンナリした声だ。
「外見もあるが、女は化粧で化けるしな。どちらかというとトーコのイントネーションには女性独特の物が無い。それを何とかすれば違うんじゃないか?」
 女性独特のイントネーションがあるのか。
 レジデと話したり書籍を読む事では気がつけなかった。
 改善の余地があるなら努力しよう。
 心に新たに誓いを立てる。
 考えたら、着ているものもレジデが買ってきた服……つまりは男物だし、ある程度は仕方ないのかな。

「それともう一つ。さっき言ったろ。世界最大の宗教、通称『光の教団』はカケラに特にご執心だと。世界中からカケラを集めてある、時の館に、目を付けていない訳が無い。
 学院内でも不正侵入防止の為に、結界を本格的に強化する話が出ている。その場合はもちろん、俺達は確実に結界強化の為にかりだされる。
 下手をすればトーコがこの館にいる間に決行されるかもしれんし、トーコがここを出た後だとしても、コイツはトーコの面倒を見れるような状況じゃないだろう。」
 私がこの場にいるのを他の人に見られたら、流石に言い訳のしようが無いだろうしなぁ。

 どうするつもりだ?と、目で問いかけてくるフォリアを見て、ふと、もしかしたら彼こそ貴族階級なのかも知れないと思う。
 容姿が優れているだけではなくて、人を使うのに慣れている感じがするし、レジデとは違った意味で知識が深そうだ。
 まぁ、貴族階級や労働階級といわれても、日本で育った私が考えるような、簡単なものではないとは思うし、レジデみたいな違う種族のいる世界の常識や階級制度は、私の想像を超えて有り余る。
 黙ってしまったレジデに目をやれば、見たことも無いような難しい顔をしていた。
 しばらく二人の視線を受けていたレジデが、意を決したようにフォリアに問いかけた。
「フォリア。あなたは私よりも顔が広い。私がトーコの生活を保障できるまでの暫くの間、上手く隠せる場所の心当たりはありませんか。」
「お前が人を頼るのは珍しいな」
 からかうような口調とは裏腹に、その眼差しは真剣そのものだ。
 フォリアは少し考えてから、
「そうだな……ワケありの女性が隠れられて、リバウンドを抑えられる治療結界が張ってある場所の心当たりなら一つだけある。が……」
 一つ一つかみ締めるように言葉をつむいだ後、私に向き直った。
「トーコ。働く気があるか?」
「私に出来る事ならば。」
 即答する。
 労働する事に否やはないし、この一晩で得た知識で、安穏とした生活を夢見る事はレジデに多大な負荷をかけていることも判った。
 戻る為の方法を模索してくれている彼の努力を無にしない為にも、私に出来る事はするつもりだ。
「レジデ。外の時間で深夜になるまでに、トーコをここから出す準備が出来るか?」
「可能ですが、そこまで急ぐ必要が?」
 時計を見れば深夜三時。結界外の時間はまだ日が高いとは言え、こちらであと二時間もすれば向こうも深夜になるだろう。
「間をあければあけるほど、不自然になる。俺がフォローできるとしたら、このタイミングを逃すと難しい。」
 一気に進む展開に、緊張が高まる。
 穏やかな生活が足元から一気に崩れる予感に、理性では押し殺しきれなかった恐怖心が、じわりじわりと体中を駆けめぐる。
 フォリアと慌しく打ち合わせをしているレジデに、この小さな彼に、どれだけ今まで精神的に助けられていたかを、心底痛感した。

「とにかく時間が無い。俺は一度外に戻る。お前は彼女の用意を終わらせておけ」
 いつの間に話がついたのか、部屋の隅に投げ出してあったマントを取ると、フォリアはタペストリーの前に立った。
 ――いけないっ
「あのっ」
 既に淡く光り始めた男に向かって、これだけはどうしても言わなくてはいけないと、慌てて声をかけた。
「ありがとうございます!」
 レジデだけではない。
 協力すると言う事は、フォリアも難しい立場に追い込む事になる。
 声は届いたのだろうか。
 最後まで言い終わるか終わらないかのうちに、淡く光の中に溶けて消えた彼が、ほんの少し、笑ってくれたような気がした。