一章 星降る時の館 【13】

 あれこれ悩んでようやく荷物の選別に見切りをつけた。
 これ以上、時間をかけても仕方が無い。
 流石に一睡もしないで、目まぐるしく迎えた一夜に肉体的な疲労を感じるけれど、精神的には疲れているのか、疲れていないのかが分からない。
 …まぁ分からないって事は、疲れてるんだろうな。
 なんだか自分の体のことなのに、他人事のように思えるぞ。
 さてと。と、いつも使っていた書斎をぐるりと見渡して、自分の形跡が残っていないかを確かめる。
 二ヶ月間も生活していれば、愛着だって湧く。
 名残を惜しむようにゆっくりと最後のランプを消すと、レジデの待つ大ホールに移動した。

 耳に心地よい鈴の音を聞きながら、薄暗いホールの中でレジデの姿を探すと、石像の集まる中心、一番最初に私が現れた所で、何やら蹲って必死に作業をしている後ろ姿を見つけた。
 つぶらな瞳で一生懸命、チョークでお絵かきをしているような仕草が可愛らしい。
「荷物の準備、出来ましたよ。」
 そっと傍に近寄ってみると、彼が持っていたのはチョークではなく鞘に収めたままの短剣で、床には円を書くように、鈍く光る銀色の文字が浮かび上がっていた。
 彼は私を認めると、よいしょっと立ち上がり、こちらも準備終わりました。とにっこり笑う。
 けれどもすぐに真顔になると、トーコと改まって名前を呼ばれた。
「私がトーコをこちらに呼び込んでおいて、こんな事になって申し訳ありません。トーコを匿ってくれる方はシルヴィアと言って信用できる人です。安心してください。」
 彼の豊かな低い声が、染み入るように心に響く。
 出来る限り早く迎えに行きます。と私を見上げる真剣な眼差しに、今まで彼に助けられた事が走馬灯のように押し寄せてきた。
「うん。待ってるね」
 無意識にしゃがみこんで、レジデの体を引き寄せて抱きしめる。
 慌てたような仕草にかまわず、もふもふの体に顔をうずめると、わずかな逡巡ののち、おずおずと優しく背中を撫でられた。
「手紙も書きます。トーコも頑張りすぎないで、何かあったら必ず連絡下さい。」
 頑張りすぎないでと言う発言に、彼の人柄と優しさが見える。
 ありがとう。と、一つ頷いて、惜しみながら暖かな体を放した。
「ラブシーンは終わったか?」
 石像の傍から声がかかる。
 いつの間にかに現れたフォリアは、先程の動きやすそうな服とは違った品の良い、足元まであるダークグレーの外套に身を包み、石造にもたれ掛かりながら、面白そうにこちらを見ていた。
 文句の付け所がない美形っているもんだな。いやいや眼福。
 感心していると、手に持っていた袋を渡される。
「着替えが入っている。着替えてくれ。」
 中を覗いてみると、フォリアと同じく仕立ての良い生地が見える。 どうやらパンツルックらしい。
 物陰に隠れて広げてみると、膝丈までのパンツと白い長袖の服、腰までの長さのマントと黒いブーツが出てきた。
 他にはベルトのような装身具と、さらに奥に入っていた布を広げると、どう見てもさらしだ。
 えーと、コレは……男装になるのか?というよりは……。
 悩みながら、ひとしきり身に着けてみて二人の前に進むと、満足そうにフォリアが頷いた。
「思ったよりよく似合う。これならどう見ても少年従者にしか見えんな。」
 やっぱり。
 袖を通した上着も大人の男性が着るには小さいし、女性にしては胸がきつい。
「まぁ幼い少女の洋服を着ろといわれるよりは、違和感無いから良いですが、髪はこのままで良いんですか?」
 こちらだと髪の長い少年というのは有りなのだろうか?
 するとフォリアは、外套の装飾だった深緑色の房付きの飾り紐を取り、横でまとめる様にして私の髪を結んだ。
「これでいいだろう。」
 背中を押して、先ほどレジデが書いていた魔法陣の中央に立たされる。
 そのままフォリアはレジデと私の直線上、円の反対側に移動すると、腰から剣を取り出した。
「これから、ここの結界を出ても大丈夫なように、リバウンド防止の術をトーコの体にかけます。 けれどもこれは補完的なものなので、現地に行ってもなるべく治療結界内から長時間出ないで下さい。」
 本来ならまだこの結界内から出るのは危険な時期だと、何度も説明を受けている。
 リバウンド防止の術というのは、あくまで現地に向かうまでの間の為のものなのだろう。
「大丈夫。現地に着くまではフォリアから離れないし、現地でもここにいた時みたいに、結界内から出ないで過ごします。」
 折角助かった命だ。ここまで来てリバウンドで重症重体というのは避けたい。
 私が一つ頷くのを確かめて、はじめます。と目を伏せたレジデの声がホールに響き渡った。

 以前皮紐を新しくするのを見せてもらったように、指で魔方陣を辿っていくのかと無意識に思っていたけれど、二人は手にした剣を両手で持ち、目を伏せて何かを小さく唱えはじめた。
 レジデはそのまま手に持っていた黒い艶消しの刀身を、銀色の魔方陣の上にあてると、まるで重力が変わったかのように私の体に何か「圧」が掛かり始める。
 痛みは無いけれど、どんどん強くなるソレに、立っているのが辛くなってくる。
 しまった!
 痛みがあるのかだけでも、事前に聞いておけばよかった。
 体験した事のない感覚に、本能が恐怖を訴える。
 ついに耐え切れず、その場に膝をつくと同時に、鈍く光っていた文字が波紋が広がるように波打ち始め、徐々に光を増しはじめた。
 気が付けばレジデだけでなく、フォリアも同じ姿勢で剣をあてながら何かを唱えている。

 どんどん強くなる光に目を開けていられなくなる。
 ――まぶしっ
 目を閉じても、強すぎる光が瞼の裏に、意識の中に、入り込んでくる。
 「圧」に耐え切れず、倒れこむ真っ白な光の中――必ず迎えに行きます――と、光の壁の向こうから聞こえた、レジデの真剣な声を最後に、視界も意識もホワイトアウトした。