一章 星降る時の館 【11】

 カチコチと時計の針の音だけが部屋に響く。
 何度か口を開いて、何も言えず閉じてと繰り返す。
 そして結局、言葉にするのを諦めて、目の前に置いてあったお茶を、味もわからず飲み込んだ。
 突然全てを奪われ、知らない土地で生きていけと言われ、更にその土地の人間からは、畏怖憎悪の眼差しで見られると。――つまりはそう言う事なのだろうか。
 理不尽だと怒るよりも、ずっと強い虚脱感に襲われる。
 うじうじするタイプじゃないとは言え、ここまできて何とかなるさと思えるほど能天気でもない。
 こちらに来てから吸わなくなった煙草を、無性に恋しく感じた。

 日本は平和な国だと思う。
 治安の悪化や凄惨な事件は毎日ニュースを騒がしているけれど、ミサイルが降って来るわけでもなく、日常的に銃におびえる事も無く、当たり前のように識字率は100%に近い。
 もちろん今現在紛争中の国が多いのも、アメリカ同時多発テロを第三次世界大戦と呼ぶ人がいる事も知っている。
 けれども現代の日本と言う国に暮らしていて、戦争を身近に感じられる人は少ないだろう。
 こちらの世界の寿命はどの位なのかは知らない。
 第二次世界大戦の終戦を二十歳の時に迎えたと言う祖父が、存命ならば八十半ば。
 こちらの世界でも当時の事件は、完全に忘れ去られると言うほど昔の事ではないだろう。
「…私の国では世界中を巻き込む戦争が、五十年以上前に複数回ありました。 自然の摂理を曲げて、大規模な爆発を起こす技術や、長い間大地を汚すような技術も、当時飛躍的に発展しています。――多分、こちらの世界を震撼させた事件は、そんな戦争の道具がこちらに来てしまったからでしょう。」
 淡々と言葉を紡ぐ。
 心配そうにこちらを見ているレジデを安心させる為に、何て声をかけようかと、妙に冷静な自分が、もう一人の自分を観察している。
 暫く考えて、自分が今混乱しているんだなと思ったら、何だか少し笑えてきた。
 女の厄年は終わったと思ったけど、関係ないらしい。
 思考を遮るように、トーコと呼ばれフォリアに目をやると、一瞬苦いものでも飲み込んだような、そんな顔をされる。
 けれども直ぐに元の表情に戻って、言葉を続けた。
「誤解の無いように言っておくが、別にカケラがあったからと言って、いきなり魔法や魔法器具が使えなくなる訳では無い。トーコが指摘した通り、『自然の摂理を大きく曲げた事象』が起こった場合のみ、精霊の暴走がみられる。
 それはこちらの研究でも明らかになっているし、死傷者が出た最後の事件は、五十年近く前だ。テッラ人と判ったからと言って、いきなり殺される様な事は無い。…心配するな。」
 最後の一言はあまりに小さな声だったので、レジデが頷かなかったら聞き間違いかと思った。
 ――あぁ。呆けてる場合じゃないな。
 一つ頭を振ると、自分に活を入れる。
 事前に貴重な情報が手に入ったんだから、生きて帰る為にもしっかりしないと。
 部屋に備え付けのキッチンにつかつかと歩いて行くと、冷やしてあった水を、コップ一杯一気に飲む。
 本当はドリンク剤でも欲しい所だけど、贅沢は言ってられない。
 少し頭がしゃきっとした所で、先ほどのソファに戻る。
「すみません、もう大丈夫です。」
 正面の二人の目を見て軽く頭を下げた。
 安心した様に笑うレジデの顔が愛らしい。
 フォリアには立ち直りが早いなと微苦笑された後、ただ、もう一つだけ覚えておけと、急に真顔で返される。
「確かに一般人はカケラに対して淡い警戒心を持っているが、基本的には無害だ。それよりもタチが悪くて警戒するべきなのは、一時は我先にとカケラを時の館に捨てた各地の権力者だ。」
 五十年前に世界を震撼させた事件は、長い年月が経ち、権力者たちが代替わりすると、その技術力に目が行く様になった。
 もしあれだけの殺傷力を持つカケラを自国が操れたら、世界の勢力図を塗り替えるのは簡単だ。
 そもそも時の館に渡したのは一時的な処置であって、あれは自分達の物である。
 喉元過ぎれば何とやら。ここ数年、そう考え始めた権力者が増え始めカケラに対する関心が日々高まっているという。

「特にこちらの世界で最大の宗教団体は相当カケラにご執心だ。そもそもテッラは我らが神が作りたもうたもの。五十年前の事件は、神が我々に与えた試練である。真顔でそんな世迷い事を抜かしやがる。」
 うんざりした口調で説明した後、実際さっきのホールの一件は、時の館への不正侵入者が原因だと続けた。
「それでフォリアは時の館に来たんですか?」
「そうだ、本来なら担当者以外はここには入れないんだがな。不正侵入のアラームがなった時に、丁度コイツが館にいないのは分かっていたから、万が一を考えてこちらに来たんだ。」
 結局、不正侵入は未遂に終わったらしい。
「トーコが来る前に、かなり結界の強化をしてあったので油断しました。私のミスです。申し訳ありません。」
 レジデのシッポも耳も、しゅんと下を向いている。
「いやいや、大丈夫です。五体満足元気ですし、現状も把握出来ました。」
 殊更元気そうに、手足をひらひら動かしてみる。
 あまり落ち込まれると、園児みたいに抱っこしてよしよししたくなるから、そんなしょげかえった顔をしないで欲しい。
 気を取り直すように、二、三、質問良いですかとレジデに問う。

「一般の方の考えや特定の権力者の考えはわかりました。で、今実際お二人が所属している、魔術ギルドの考えはどうなんでしょう。」
 自分の身の割り振り方を決めるにしても、切実に情報が不足している。
 レジデが教えてくれていない訳ではない。
 けれども目まぐるしく語学や生活様式を覚えることにいっぱいいっぱいで、私を匿った彼がどうなるかまで意識が行かなかった。
 ここまでくれば私にも、わざとレジデが心配かけないように、大きな問題をオブラートにくるんでくれていた事が判っている。
 隠さないで教えて欲しいと付け加えると、暫く迷った後、わかりましたと返答がかえってきた。