一章 星降る時の館 【7】

 こちらの世界から帰れない事を除けば、私は非常に幸運だと思う。
 怪我を治してもらった事だけでなく、本来なら唯一のテッラ人として監禁され、観察されたっておかしくないわけで。
 けれども彼は所属の魔術ギルドにも私の存在を隠して、ひっそりと日本に帰したいと思ってくれている。
 それは私を召還してしまった責任感からきているらしく、私の健康状態チェックやこれからの生活についても、私より色々悩んでくれていた。
 小さい子供じゃないけれど、自分のことを心配してくれる存在というのは何よりありがたい。
 精神的に自分の居場所を確保してもらっている気がするし、押し隠していてもやっぱり心細さと言うのはある。
 けれども一緒に傍にいてくれる人がいるだけで、気持ちが大分安定するものだと、初めて知った。
 私はどちらかというと、べったり人と一緒にいる事が苦手なタイプだから、傍にいてくれるとほっとする存在というのに、ちょっと吃驚《びっくり》もしている。
 こんなタイプだから男と長続きしないんだけどさ。

 そしてもう一つの幸運は、レジデがこちらの世界でも有数のテッラの研究者だったと言うこと。
 彼の現在の仕事は、時の館に各地から転送されたカケラを分類することで、この仕事は毎年一人、担当者が決まっているらしい。
 時の館の結界の出入りは、非常に厳重に管理されているらしく、基本的にその年の担当者しか出入り出来ないそうだ。
 なので幸いな事に、私の存在は誰にも気づかれてないらしい。
 今後の予定としては、体調が安定したらギルドに気づかれないうちにレジデの家に移動。
 その後は、兎にも角にもこちらの生活に慣れてから考える事にした。
「問題はトーコがここから出る時ですが、基本的に出入り口の魔方陣でチェックされるのは、結界内への不正侵入と、館の中からのカケラの不正持ち出しのみです。人の目にさえ触れなければ、大丈夫だと思います。」
「私自身は、カケラに該当しないと言う事ですか?」
 テッラ人その物は、カケラ扱いされないのだろうか?
 それとも無機物だけチェックされるとか?
 もしそうだとしたら、テッラから持ってきた物は下着一枚この結界の外に持っていけない事になるよね。
 悪目立ちしないためには、全部置いていくのが正しいんだろうけど、何一つ持ち出せないと言うのはちょっと寂しいものがある。
「基本的にカケラはすべて各地から魔方陣で転送されてこの館に搬入されます。その時、結界にそのカケラの情報が記録されますので、トーコと一緒に来た物はすべて未記録になります。逆に言えば入り口の魔方陣もクリア出来るはずです。」
 なんだか万引き防止のゲートみたい。タグの付いていない商品は万引き防止ゲートを通っても大丈夫って事かな。
 そうそう、あの最初に見たフリーマーケットのようなガラクタの山が、実は各地から送られてきた未整理の「カケラ」達だったらしい。
 レジデの仕事はそれらを判別して、説明文を加え、本の中に閉じ込める。
 タンスみたいな大きな物が何故本の中に納まるのかは、何度見ても不思議だし、本にしたカケラが勝手に壁の本棚に滑り込むように飛んで入っていく姿も、蛍の様で美しい。
 私の乗ってきた車も、今は本の中に閉じ込めてある。
 大ホールに埋め尽くされている本、一冊一冊にカケラが入ってるとしたら、その量たるや膨大だ。
 カケラは元の世界で言う所の化石とか遺跡みたいな感覚じゃないだろうか。そう思うと、レジデはあれか?インディーなんたらジョーンズ博士みたいなもん?
 脳裏でレジデのコスプレ姿を思い浮かべ、あまりの可愛さに必死に笑いをかみ殺す。
 私につきっきりでレジデの仕事に差しさわりが出ないか心配したんだけど、この説明文を推測するのに通常は膨大な時間がかかるらしい。
 安全なものなのか、用途は何か、関連するものはないか等。それを私がかわり解説し、レジデが説明文をつけるので、通常では考えられない速度で処理出来ているそうだ。
 なのでお世話になりっぱなしで申し訳ないという気持ちが、大分和らいだ。
 働かざるもの食うべからずですよ。

 そしてもう一つしている私の仕事は、料理。
 最初の内はレジデがご飯を作ってくれていたんだけれども、何と言うか…非常に独創的な味だったので、一度食材を持ってきてもらって作ってみてから、そのまま私の担当になった。
 野菜のえぐみを充分生かした、苦味たっぷりのリゾット風のものとか、オートミールっぽくて一口食べるとなんとも言えないざらり喉越しと、甘さの後からゆっくり感じる塩辛さとか、毎食食べるのに大分勇気のいる味は忘れられない。
 ただ単に彼が非常に料理オンチだったとわかって、ほんとーに、心底安心した。
 あの味がこちらの世界の標準味覚だったら、一月もしないでダイエット完了しそうな味だったぞ。
 レジデが料理してるのは、ヌイグルミでおままごとしてるみたいで、すごーーーーく可愛かったんだけどね。
 今後とも是非、食事は私に作らせて欲しい。
「トーコが来てくれてから、食生活の質が格段に上がりました。馴染みの無い食材を上手に調理できるのは、ある種の才能ですよね。いつもとても美味しいです。」
 食材がわからないので、簡単な調理方の物しか作ってないんだけど、喜んで食べてくれるのは、やっぱりうれしいもんだ。
「トーコは明日は何が食べたいですか?お勧めは臭みの無い、ホクホクとしたポンムという白身魚がそろそろ旬です。あとは小粒の貝は大丈夫ですか?」
 帰り際に明日の献立の話をするのも、ここ最近の毎日の日課だ。
 魚かぁ。
「美味しそうですね。もし魚に合うハーブがあれば、それもお願いしていいですか。 お塩は出来たら海の塩で。苦味の少ない旬の野菜……根菜ではなく甘みのありそうな果実系の野菜もあったら嬉しいです。」
 トマトやパプリカみたいな野菜があれば、アクアパッツァ風にしようかな。
 料理は勉強の合間の、良い気分転換にもなるしね。
 そう伝えると、じゃぁ明日は魚を持ってきますね。とレジデは何処となく嬉しそうに尻尾を揺らす。
 やっぱり猫だからお魚好きなのかな。
 そんな私の思考を打ち消すように、重厚な古時計の音が聞こえてきた。
「おや、もういい時間ですね。そろそろ今日は帰ります。」
 時計を見ると、青い針が十時を指している。
 時間がたつのは早い。もう、こんな時間だったのか。
 今いるのは、私が最初にいた大ホールではなく、窓の無い小さい書斎。
 まぁ、小さいと言っても他の部屋と比べての話で、私のアパートの倍もの広さがあるんじゃないかな。
 向かい合って作業するのに充分なサイズの机や、ベッド代わりにしているカウチなどを置いても、全然狭く感じない広さ。
 どちらかというと、これ以上広いと私が逆に落ち着かないぐらいだ。
 レジデは人を殴り殺せそうな程厚い辞書を本棚に片付け、コートかけから厚手のマントを羽織った。
 出会った日より、外は随分寒くなったらしい。
「それではトーコ、何かあったらいつでも連絡くださいね。」
 最後の鐘が、小さな部屋に響き渡る。
 私もインク瓶に蓋を閉めながら、おやすみなさいと声をかける。
 すると彼はにっこりと笑い、壁にかけてあるタペストリーの前に進むと、――そのまま淡く光るようにしていなくなった。