一章 星降る時の館 【6】

 三ヶ月の”こちらの世界を学ぼう!研修”がはじまった。

 レジデは物腰柔らかで知性的。そして妙に寛げる癒しオーラの持ち主だった。
 どことなくおっとりしていると言うか、几帳面なのにどこか抜けている所とかが、とても魅力的。
 私自身がサバサバしすぎているせいで、こういう優しい雰囲気を持つ人に憧れるんだよね。
 落ち着いた低めの声で、もふもふの可愛らしい外見も慣れてみると、抱きしめたい位可愛い。
 一度ぐらいぎゅーっと抱っこして、すりすりしてみたいぞ。…しないけどさ。

 一度彼に年齢を尋ねた事があったんだけど、今まであまり見たことのない、悪戯っぽい顔をして、暫くは内緒ですと返された。
「テッラには獣人族がまったくいないので、きっと想像がつかないんですね。じゃぁクイズにしましょう、私の年齢とその根拠を聞かせてください。」
 正直、五歳と言われても五百歳と言われても不思議じゃない外見なので、まったくわからない。
 根拠と言われても難しい。
 一度、あまりの知識量に、「実は、百五十歳ぐらい?」と言ったら吹き出されたので、意外と常識的な年齢らしい。
 最近では実は私とあまり年が変わらないんじゃないかと思っているけど、当てずっぽうでは教えてくれないし…。
 うーん、気になる。
 彼は可愛らしい外見で、知識も話題も豊富。
 軟禁状態の私がストレスを感じないよう、手を変え品を変え、こちらの世界の事を、毎日面白おかしく話してくれる。
 まさに彼は講師役としてはうってつけの人材で、戦々恐々としていた語学も、思っていたよりずっと簡単に覚えることが出来た。
 ――まぁ語学に関して言えば、実は物凄い力技も使ってもらったけど。
 語学を習得するのが難しい理由と言うのは、幾つか理由があるけれど、大きく分けると二つ。
 母国語にない文法ルールや発音があると言うこと。
 単語や熟語の定着に時間がかかると言うこと。
 この後者を、魔法でサポートしてもらったのだ。
 英語で言うなら、通常はABCD、abcdとアルファベットの練習からはじめ、何度も「りんご」が「アップル」で「apple」というスペルであることを頭に叩き込むわけだ。
 その記憶の定着を魔法で強めてもらう事で、二千〜三千の単語や熟語を一週間ほどで暗記することが出来た。
 ほんっと凄い。魔法ビバ。
 ただ最初聞いた時は、「そんな事が出来るなら語学なんて楽勝!」と思ったんだけど、流石に聞き取りや発音、文法ルールはそんな力技はなく、辞書もない状態で手探りで勉強する事になった。
 考えたら英語だって辞書を見て良いからと言われても、文章を簡単に作れるわけじゃないもんね。
 それでも当初心配してたよりは、ずっと楽に語学習得出来たと思う。
 外国語は英語しか知らないので、どこの国の言語に似ているとかはわからないけれど、文字は日本語の漢字よりはアルファベットに似ているし、発音の母音数もアイウエオの五つより三つも多い。
 英語だと過去・現在・未来位だった変化形が、大過去・過去・小過去みたいに過去だけで何種類もあるのがわかった時は泣きそうだったけど――習うより慣れろ。
 まぁ何とかなるだろう。
 きっと記憶強化の魔法かけてもらえなかったら、自力で言語を覚えられず、野たれ死んでる自信があるなぁ。

 そんな中、なんとか二ヶ月もすると自動翻訳を使わなくても、大分日常会話をする事が出来るようになってきた。
 簡単な世界地図のようなものを広げてもらうと、この言語で会話が出来るのは中央大陸と呼ばれる地域だけで、西と南の地域では言語が変わって通じないと説明を受ける。
 地図にはその名の通り、中央に大きな大陸が書いてあり、西と南に大小の三日月型の大陸が中央に向かって書かれている。
 良く見ると西と南の大陸の周りには星のように小さな島々が書かれている。まるで満月と話をしている大小の三日月という子供の絵のような世界地図だ。
 へ〜、おもしろい。
「それでも随分一つの言語が使用できるんですね。テッラでは二百前後の国がありますが、言語は確か千以上に上る筈ですよ。」
 随分旅行が楽そうだ。何気なく言った言葉にレジデはシッポを跳ね上げ驚いた。
「千以上!?」
「ええ。例えば世界の公用語は英語ですが、たしか英語が母国語として教えてる国は十%位だったと思いますし、同じ国でも会話が成立しないことも多いですよ。私の住んでいる日本と言う国は、すべての日本人が日本語を理解できる国でしたが、それでも地域によっては方言が強くてわからない単語もありました。」
 こちらでは測量技術はそこまで進んでいないらしく、地図の精度は低い。
 そして人々が移動する距離もずっと小さい。
 …しかし、かといって生まれた土地から全く動けないほどでは無いみたいだ。
 本来なら人間の移動する距離が小さければ小さいほど、言語は独自性を持ち、バラバラになるんじゃないのかな。
 なんで殆ど中央大陸では、同じ言語が通じるんだろう?
 そんな私の疑問とは逆に、彼はテッラの言語の多さにハテナが一杯らしく、しきりに首をかしげている。
 道具や話を聞く限り、機械文明という意味ではあまり発展していないみたいだけれども、魔法で補っている部分もあるだろうしね。
 一概に中世ぐらいの文明レベルと判断するのはどうなのかと言う気もする。
「取りあえず、トーコは西地域の出身と言うことにしましょう。西大陸とは交流がそこまで盛んではないので、何かあったら誤魔化せるでしょうし、南出身にしては肌が白すぎます。それでも正直、トーコの出自は見る人が見たらおかしいとわかってしまいますから、もう少し考えないといけませんね。」
 どうしたって田舎から出てきたおのぼりさん位にはなると思うけど、プロフィールを綿密に煮詰めなくてはいけないほど、こっちの世界の人から見たらずれてるんだろうか?
「言語以外にも、そんなに私、不審者ですか?」
「中央大陸ではどんな田舎でも獣人族は普通に歩いていますし、魔法を使える人が少なくても魔法器具は日常的に皆使えますね。 多分、最初のうちはトーコは驚くでしょうし、子供でも使える道具が使えないようでは、悪目立ちはすると思います。」
 へ〜、皆が普通に魔法を使えるわけではないんだ。
「じゃぁ適当に不審に見えないプロフィールを考えた方がいいんですね。」
 何か誤魔化せそうなもの、あるかな?
 色々職業を上げて見るけれど、片っ端から首を振られる。
「テッラでは小さい子供の教育に関係する仕事をしていたんですが、そんな感じの職業は無いんですか?」
「教育だけを行う機関は一般的にはありません。一般的に小さい子供は、魔術ギルドや商業ギルドで、スキルを磨きながら一般教養も教わるか、女の子なんかは宗教施設で礼拝の後に任意で公開授業に出る事もあります。
 あとは貴族階級になると家庭教師を専属で何人もつけますが……これは少し無理があると思います。」
 たしかに職人にも魔法使いにも宗教関係者にも見えないだろうからなぁ。
 貴族階級の家庭教師にしちゃ、一般常識の欠落は酷いだろうし…
 うぅむ。
 あーだこーだ言っても結局結論は出ず、今後の課題となった。