一章 星降る時の館 【3】

 どんなに不可思議、不条理であろうとも現実ならば、待っていても何も進まない。
 幸い言葉が通じる相手が目の前にいる。
 それが二足歩行をする猫のヌイグルミだとしても、充分ありがたい。
 考えようによっては園児の方が、よっぽど宇宙人みたいなものだし。
「私の名前は葉山橙子、車で事故にあって崖から落ちました。」
 レジデは『くるま』と少しずれたイントネーションで復唱しながら、車を振り返る。
 声というのは不思議で、どんなに可愛らしい外見をしていても、この落ち着いた声をしている猫ちゃんを外見通りに扱うことを、良しとしない雰囲気を与えてくれる。
 そしてそれは私を落ち着かせ、必要以上に取り乱す事を許さない。
「随分長い名前ですね…ファヤマト?」
 それでもチョコンと首をかしげる仕草は、凄まじく可愛らしい。
「トウコです。トウコ」
「トゥコ。トーコ。トックォ」
 何度か練習をしている。
 簡単な名前だと思うんだけどな…。
「トーコ、車というのはあの乗り物のことですよね」
 車を指差すレジデに頷きながら、その幾分改まった声に無意識に腹に力をこめる。
 ――何を言われてもいいように。
「私達がトーコを見つけたとき、トーコは仮死状態でした。逆を言えば仮死状態だからトーコはこちらの世界にクルマと召還されてしまったのです。」

 彼の話をまとめると、こういうことらしい。
 テッラと呼ばれる異世界がある。
 誰も行った事の無い、こちらの世界とまったく文明の異なる世界。
 テッラの落し物は「世界のカケラ」と呼ばれ、いつどこで、どのように現れるかはわかっていないが、その歴史は古い。
 すべての「カケラ」は世界中に散らばる魔術ギルドを使い魔術学院に集め、この時の館に納められる。 あまりに違う文明の技術はこちらの世界のバランスを崩してしまいかねないからだ。
 しかし集めたカケラが呼び水になったのか、ある時、この時の館で「カケラ」の召還に成功してしまう。
 ただ落ちてくるのを待つのではなく、目的のものをこちらの世界に引き寄せる「召還」。
 もちろん無尽蔵に呼び出せるわけでは無い。制約はある。
 召還が成功する日は最もテッラとこちらの世界が近くなると言われている日のみだし、命あるものは小鳥一匹たりとも召還できない。基本的に小さな無機物のみ。
 他に、強くイメージできない物も召還できない。
 こちらの世界の石を見て、非常に似た色形の石を召還することは出来ても「こちらの世界に無い宝石」等、抽象的なものは召還は出来ない。
 イメージがつかないからだ。
 逆に言えば「カケラ」と同じものを召還することは出来る。
 目の前にあるものと同じものをイメージすればいいわけだから。
 ――そして彼は、巨大ともいえる自動車を召還した。

「でも車はこちらの世界に無いんでしょう? おかしくありませんか。車の実物がないのに、どうやって自動車のイメージをつけたんですか?」
 レジデは目の動きで同意する。
「テッラには、非常に写実的な絵画の技術がありますよね。」
 レジデはベルトにつけた赤い皮のポシェットをごそごそと探すと、目の前に一枚の薄汚れた紙を差し出した。
 よくよく見てみると、あちこち切れてはいるけど、数年前に発売された私の乗ってる車のパンフレットらしかった。
 おしゃれな街中を背景に、溌剌とした女性タレントが運転する薄い藤色のタウンカーが写っている。
 裏は運転席の写真やスペックなど。
 もう中古で買って五年になる車のパンフレットを見るとは思わなかった。
「私は今回初めて、カケラから情報を得たうえで、新たな種類のカケラを召還することを試したのです」
 確かにこの写真を見れば、イメージはつきやすいだろう。
 つまりこの車種を召還しようとして、私は偶然巻き込まれてしまったわけ?
「偶然といえば偶然ですが、何かお気づきになりませんか?」
 覗き込んで、しっぽで写真をしめす。具体的には車ではなく女性の部分を。
「………もしかして、似てる?」
 全体的な雰囲気と、何よりもその服装。
 ゆるくウェーブのかかった長い髪を一つにまとめ、当時流行の白いカッターシャツに紺のパンツ姿。
 野菜や林檎が覗いているクリーム色のエコバッグを助手席に置き、健康そうに笑う写真。
 イメージは郊外のオシャレタウンに住む女性。――子供が幼稚園に行ってる間にちょっとしたお買い物。
 そんな感じだろうか。いかにも女性向の広告だ。
 それに対して今日の自分の格好は、オフホワイトのカットソーに使い古しの紺のパンツ、握り締めているのは、いつも助手席においている淡いベージュの通勤カバン。
 もちろん長い髪は邪魔にならないように、いつでも一つに結わいてる。
「トーコが選ばれたのは偶然であり、必然だったのだと思います」
 なんてこったい。